大熊杉山神社
| 所在地 | 神奈川県横浜市都筑区大熊町497 |
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| 都筑区の歴博付近を源流とし川向で鶴見川と合流する大熊川が台地を削って残された右岸南側の小高い丘の上に神社があります。周囲は畑で、境内は遊具のある公園ともなっており、訪れるたびに癒される神社です(駐車場もあり、お気に入りの神社の一つです)。 以前は、一之鳥居前[2]に明治二十七(1894)年 飯島吉六作の幟立てがあったのですが、平成二十六(2014)年の再建で撤去されてしまいました。周囲を探したのですが、残材も確認できませんでした。 |
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| 訪問日 | 2023年1月,2023年3月,2023年4月,2023年7月,2024年8月,2025年3月,2025年4月,2025年6月,2025年9月,2025年10月 |
狛犬
| 奉献/建立 | 明治十四年一月[1881年1月] |
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| 石工銘 | 神奈川 岸文吉 |
| 狛犬タイプ | 尾流れ(左:子,右:子2) |
| 右に2匹、左に1匹子狛がいますが、いずれも動き・表情とも見事な造形です。やや膨らんだ頬と大きな伏せ耳、がっちりとした脚の爪、ちょっと抜けた顔の子狛などは、岸の狛犬の特徴が良く出ています。 とはいえ、これがほぼ同時期の小金井神社の狛犬(慶雲作)とよく似ているのも興味深いです(師匠との噂も)。 |
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石水盤
| 奉献/建立 | 慶應二丙寅七月[1866年7月] |
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| 石工銘 | 綱嶌橋 三五郎 |
| 拝殿前の参道右手に置かれており、正面に「洗心」とあり、右上と左端に石印のような彫も記されています(残念ながら解読・意味ともに不明)。 石工銘の『綱島橋』は現在綱島と樽町を結んで鶴見川にかかっている大綱橋の先代の橋だったようです[4]。 三五郎は、綱島諏訪神社の石水盤や諏訪宮東門碑を作成した吉原三五郎と同一人物かも知れません。 |
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