飯嶋吉六 作品マップ

神奈川の石工ブランド『飯島吉六』の作品が残されている神社・寺院等を、 地図上に表示してみました。
れきちずを重ねてみると、多摩川・中原道、そして日野往還(神奈川宿と佐江戸を繋ぐ)に囲まれたエリアが 主な活動範囲(商圏)だったことがわかります。
作品の詳細は、作品リストを参照ください。
※代の丸数字は何代目かを示します(吉六の系譜 参照)
※数は神社・寺院数です(作品数ではありません)

年代代/銘記事
1779以前(宝永,享保,宝暦) ①②③ 8 三代目までは、鶴見近辺の東海道沿いに活動が限られています
1780~1792(天明,寛政) 4 四代目で鶴見から北の川崎市幸区に進出しています。
1793~1815(寛政,文化) 33 五代目で、一気に縄張りを鶴見川流域と府中街道沿いに広げています。
1816~1843(文政,天保) ⑥⑦ 46 六,七代目で、さらに戸塚区,旭区,青葉区,東京目黒区まで広がっています。
1844~1856(弘化,嘉永,安政) 24 八代目で作品は減少し始め、再び鶴見川流域と東海道沿いのみになってきます。
1857~1869(安政,文久,慶應) 不在期 2 八代目が鶴見を離れ、飯島石工としての活動が休止した期間となっています。
1870~1889(明治前半) 42 明治になって九代目がブランドを復活させ、多摩川・鶴見川・帷子川流域に多くの作品を残しました。
1890~1909(明治後半) ⑨⑪ 25 明治後半も活動が続きますが、神奈川の岸,青木町の露木,矢上の片野の縄張りは避けているようです。
不明() 13 製造年が不明な作品です。
地図の選択:
:吉六住居、 ⛩:神社、 卍:寺院、 ⛬:その他
※地図データは「国土地理院[1][2]」と「れきちず[3]」を利用させていただき、Mapbox GL JS[4]で表示しています
参考にさせていただいたリンク