森浅間神社

所在地 神奈川県横浜市磯子区森2丁目16−7
かつての海岸線である国道16号線まで崖が迫っている我沙羅山の山頂に神社が置かれています。200段近い階段参道にも関わらず、立派な社殿と多くの石造物が残されていることから、古くから信仰を集めてきたことが伺えます。
残念ながら神奈川石工たちの銘は確認できず、活動範囲外であったことが推測されます。

狛犬

奉献/建立 大正九年七月[1920年7月]
石工銘 不明
狛犬タイプ 尾流れ(左:子&珠,右:子3)
願主銘に「神奈川飯田町 石材業 大須賀興七」とありますが、当然石材は手配したと思われますが、彫ったのは誰でしょうか(まさか本人?)。飯田町と言えば『石文』こと岸文右衛門の拠点ですが、年代的にも作風的にも異なるように思えます。むしろ丸い目と牙から、飯塚寅吉を連想させます。

狛犬

奉献/建立 不明
石工銘 不明
狛犬タイプ 尾流れ(左:子,右:珠)
拝殿へ上がる階段の左右脇に小ぶりな狛犬が置かれています。恐らく先代狛犬と思われますが、牙の表現が大正七年の狛犬と共通している気がします。

石燈籠

奉献/建立 天明八戊申天五月[1788年5月]
石工銘 佐々木九兵エ
境内入ってすぐ参道両脇に置かれています。傘の大きさが目を引く燈籠です。天明という非常に古い奉納年銘が付いていますが、恐らく再建されており、石工銘は再建時のものと思われます。(再建年銘の写真を撮り忘れました)

復興紀念碑

奉献/建立 昭和十一年六月[1936年6月]
石工銘 関定吉
拝殿左側石碑群の左端で、最も大きな碑です。碑文によると、関東大震災からの復興を紀念した碑のようです。

報恩碑

奉献/建立 大正十年五月[1921年5月]
石工銘 佐々木奥太郎/服部権蔵
拝殿左側石碑群の左から三番目の碑です。「壱十五の神社と祭り[3]」によると、『笛名人として知られ 森のお囃子に多大な貢献をした、金子菊次郎』という人に対する顕彰碑のようです。
石工銘にある「佐々木」は石燈籠と隣の碑の作者、久兵エの子孫でしょうか。

寄進連名標碑

奉献/建立 明治十四辛巳年六月[1881年6月]
石工銘 佐々木九兵エ
拝殿左側石碑群の左から四番目の碑です。石燈籠(再建)と同じ石工銘が確認できます。

皇紀二千六百年記念碑

奉献/建立 昭和十五年庚辰十一月[1940年11月]
石工銘 関五郎
拝殿左側石碑群の左から五番目の碑です。正面に書かれている文字は判読不能です。復興紀念碑と石工の姓が同じですが、こちらも関係者でしょうか。