磐井神社

所在地 東京都大田区大森北2丁目20−8
明治の頃は東海道(現国道15号線)から東は海で、ほぼ東海道と並行して走る京浜急行線と挟まれたところに神社があります。
「今昔マップ[7]」で比較すると、国道15号線が拡張された分、で境内が狭くなっています(京浜急行線の位置は変わらないので)。そのせいか、境内に建物や石造物が密集している印象がします。

狛犬

奉献/建立 明治十四巳歳四月[1881年4月]
石工銘 高橋安五郎 /松仙芝
狛犬タイプ 尾流れ(左:子3,右:子3)
台座が高く、見上げる感じの狛犬です。
左右3匹ずつ計六匹の子狛を持ち、子宝のご利益で有名だそうです。同じ大田区の荒蘭ヶ崎熊野神社も六匹ですが、古い分こちらの方が痛みが目立ちます(国道沿いという環境も良くないのかも知れません)。阿側の子狛がじゃれ合うのに対して、吽側の狛が睨んだり噛んだりする構図や造形は同じです。
訪問時は気が付きませんでしたが、写真を確認すると左側狛犬の後ろに「松仙芝」の文字が見えます(右側は確認できず)。太田神社と同様に椋康雄氏の解説[5]に従うと、狛犬は石亀の小松仙芝が作成し、台座作成と据え付けを高橋安五郎が行った可能性があります。

狛犬

奉献/建立 (延宝元年)[(1673年)]
石工銘 不明
狛犬タイプ はじめ
痛みが激しいですが、尾が背中に着くというはじめタイプの特徴は確認することができます。建立年については、狛犬図鑑[3]を参考にしました。(狛犬図鑑は「参道狛犬大研究」より転記されているそうです)

石燈籠

奉献/建立 明治四十一年十月[1908年10月]
石工銘 高橋安五郎
消防組により奉納され、参道左側に立っています。狛犬と石工銘が同じですが、28年後となっています。

石水盤

奉献/建立 安永五年丙春三月[1776年3月]
石工銘 不明
先代狛犬と同じ石碑群の中にあります。正面にある「烏石」とは、江戸時代の書家 松下烏石(元禄12年〜安永8年)が神社に寄進した鳥の形をした模様がある自然石[6]を指しているようです。

石水盤

奉献/建立 延寶元癸丑年霜月[1673年11月]
石工銘 不明
先代狛犬と同じ石碑群の中にあります。「卍」印があり、神仏習合だったことを示しています。この石水盤が先代狛犬の建立年の根拠でしょうか?

御玉垣寄附連名碑

奉献/建立 明治四拾壹年第拾月[1908年10月]
石工銘 高橋安五郎
境内南側社務所側の入口脇に置かれています。正面に寄付者の名前が連記され、背面には世話人の名前が記されています。
寄付者の先頭(右上)に高橋安五郎の名前が見え、安五郎自身が費用と製作の両面で携わっていたことが伺えます。
石工銘自体は背面の最下部ほぼ地面の際にありました。