大國魂神社
所在地 | 東京都府中市宮町3丁目1 |
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多摩川の北、府中街道(川崎街道)で、府中崖線を越えて旧甲州街道と交差する交差点から東へ入ったところに神社入口があります。武蔵国の総社として創建も古く、境内は神木に囲まれ、数多くの狛犬含め石造物が残されています。 大鳥居前の狛犬には尾がありませんでした[8] 随神門内側に「鶴石/亀石」が置かれていますが、2007年頃のブログ[9]の写真によれば、古い石囲いがあったようです。「府中市の石造物(謝辞[30])」によれば、この石囲いが 安政四年 吉沢光信の作でした。 |
狛犬
奉献/建立 | 天保十年己天四月[1839年4月] |
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石工銘 | 不明 |
狛犬タイプ | 尾流れ(右:子) |
大鳥居から2つ目の門、中雀門の左右に溶岩台の上に置かれています。随神門の狛犬とはかなり趣が異なるため、奉納時期は近いですが、別の石工の手によるものと思われます。 奉納者の糟谷源兵衛は、旧甲州街道沿い白糸台近辺の下染屋村の名主を勤めた人物です。 |
狛犬
奉献/建立 | 天保十己亥歳五月[1839年5月] |
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石工銘 | (伊勢屋藤三郎) |
狛犬タイプ | 尾流れ(左:子&珠,右:子) |
大鳥居から一つ目の門(随神門)の脇に府中新宿「東屋」、府中番塲宿「箱屋」が奉納した狛犬が置かれています。 左側子狛が親狛の背中から顔を出すような姿や、右側子狛が親狛を見上げるような仕草が絶品です。 台座に書かれている流れるような書体(特に傾いた「月」)※から、吉澤耕石の二代目、吉澤藤三光信(伊勢屋藤三郎)の作に思えます。 ※登戸稲荷社の石燈籠&注連縄柱残材と、八雲氷川神社の狛犬参照 |
狛犬
奉献/建立 | 寛保二(壬)戌四月[1742年4月] |
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石工銘 | 不明 |
狛犬タイプ | 尾立て |
拝殿の東側にある東照宮の門前に置かれています。これだけ古いにも関わらず、細かい彫りが残っているのは貴重だと思います。宝珠・角はありませんが、原始狛犬の "獣感"が感じられます。 台座に奉納者と思われる講の名前「弥左門町/新肴町」が記されていますが、現在の中央区銀座三、四丁目にあたり、漁業関係者が多い町だったようです。 |
狛犬
奉献/建立 | 不明 |
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石工銘 | 不明 |
狛犬タイプ | 尾流れ(左:子,右:珠) |
拝殿の西側奥にある巽神社の中に置かれています。小ぶりな狛犬で、左側には乳吞子狛がいます。 巷では『人面狛犬』として有名で、たしかにユニークなお顔をしておられます(夢に出てきたら怖いかも) |
日露戦役記念碑
奉献/建立 | 明治四十年三月[1907年3月] |
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石工銘 | 内藤慶雲 |
参道右手に、「日露戦役記念」と書かれた大きな碑が置かれています。背面に出征軍人の名前が刻まれています。 碑の上に鷲?鷹?が載っていますが、その見事な出来栄えから、初代(留五郎)の手によるものでしょうか(明治32(1899)頃に慶雲二代目が襲名していますが)。 |
彰功碑
奉献/建立 | 明治二十九年三月[1896年3月] |
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石工銘 | 廣羣鶴 |
参道右手に置かれています。日清戦争に近隣から出征した兵士への慰霊碑のようです。 石工銘は「廣羣(群)鶴」で、江戸随一と言われた谷中の石工です。隣に一面に名前が彫られている「北多摩郡出征軍人彰功義会会員氏名碑」も置かれており、2つの碑がセットになっているようです。 |
巽神社石燈籠
奉献/建立 | (慶)応二(丙寅仲)呂[1866年4月] |
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石工銘 | 與市/孫八 |
境内社(巽神社)の門前に置かれています。「石工」の文字が剥落していますが、台石に記されているのが石工銘のようです。 また奉納年銘も上部が剥落していますが、「府中市の石造遺物(謝辞[30])」によれば、年号が「慶応」で、季節が「仲呂(陰暦4月)」と書かれているようです。 |
参道常夜燈
奉献/建立 | 明和元年甲申冬[1764年4月] |
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石工銘 | 江都八丁堀 和泉屋次郎右衛門 |
鳥居から参道に入ってすぐ左右に置かれています。中台に不思議な生き物が描かれていたり、竿部が二又になっているなど独特の形状です。また、奉納年は異なりますが、同型の常夜燈が随神門前にも置かれています。 |