大國魂神社

所在地 東京都府中市宮町3丁目1
多摩川の北、府中街道と旧甲州街道が交差する市役所前交差点から 東へ 200mのところに神社入口があります。 武蔵国の総社として創建も古く、 境内には数多くの狛犬含め石造物が残されています。
末社の巽神社に有名な「人面狛犬」がいるそうなのですが、 参拝したときは立ち入り禁止区画となっていました。

狛犬

奉献/建立 天保十年己天四月[1839年4月]
石工銘 不明
狛犬タイプ 尾流れ(右:子)
大鳥居から2つ目の門、中雀門の左右に溶岩台の上に置かれています。 随神門の狛犬とはかなり趣が異なるため、 奉納時期は近いですが、 別の石工の手によるものと思われます。
右側の子狛は乳吞姿です。

狛犬

奉献/建立 天保十己亥歳五月[1839年5月]
石工銘 (伊勢屋藤三郎)
狛犬タイプ 尾流れ(左:子&珠,右:子)
大鳥居から一つ目の門(随神門)の脇に 府中新宿「東屋」、府中番塲宿「箱屋」が奉納した狛犬が置かれています。
左側子狛が親狛の背中から顔を出すような姿や、 右側子狛が親狛を見上げるような仕草が絶品です。
台座に書かれている流れるような書体 (特に傾いた「月」)※から、 吉澤耕石の二代目、 吉澤藤三光信(伊勢屋藤三郎)の作に思えます。
登戸稲荷社の石燈籠&注連縄柱残材と、 八雲氷川神社の狛犬参照

狛犬

奉献/建立 不明
石工銘 不明
狛犬タイプ 尾立て
境内東側にある住吉・大鷲神社の前に置かれています。 両方とも吽形ですが、 右側の頭部には角のような突起があります。

石燈籠

奉献/建立 天保十一庚子二月[1840年2月]
石工銘 登戸 伊勢屋藤三郎
随神門を入ったところに、 吉澤石材店のブログ[7]でも紹介されている石燈籠が置かれています。
ブログにあるように一部修復されていますが、 台座石に躍動感のある彫刻が残されています。

日露戦役記念碑

奉献/建立 明治四十年三月[1907年3月]
石工銘 内藤慶雲
参道右手に、「日露戦役記念」と書かれた大きな碑が置かれています。 背面に出征軍人の名前が刻まれています。
碑の上に鷲?鷹?が載っていますが、 その見事な出来栄えから、 初代(留五郎)の手によるものでしょうか (明治32(1899)頃に慶雲二代目が襲名していますが)。

彰功碑

奉献/建立 明治二十九年三月[1896年3月]
石工銘 廣羣鶴
参道右手に置かれています。 日清戦争に近隣から出征した兵士への慰霊碑のようです。
石工銘は「廣羣(群)鶴」で、江戸随一と言われた谷中の石工です。 隣に一面に名前が彫られている 「北多摩郡出征軍人彰功義会会員氏名碑」も置かれており、 2つの碑がセットになっているようです。