神奈川 岸文右衛門
神奈川宿飯田町(成仏寺門前)に居住し、約六代続いたといわれる石工です。 「東海道神奈川宿の石工たち(謝辞[3])」によれば、 石工としては「文右衛門」を代々名乗り、 屋号としては「石文」を使用していました。
最初の銘は成仏寺岸家墓碑の元禄九(1696)年ですが、 その後 100年余で5点しか作品が見つかっていません。 ほとんどは明治前半(1870~90年)に作られており、 1890年が最後の作品となっています。
また、数は少ないものの優れた狛犬を作成していて、 「慶雲(留五郎)狛犬のルーツを探る」[1]が指摘されている通り、 これが同時代の慶雲初代留五郎に影響を与え、 後の「慶雲狛犬」につながったといわれています。
最初の銘は成仏寺岸家墓碑の元禄九(1696)年ですが、 その後 100年余で5点しか作品が見つかっていません。 ほとんどは明治前半(1870~90年)に作られており、 1890年が最後の作品となっています。
また、数は少ないものの優れた狛犬を作成していて、 「慶雲(留五郎)狛犬のルーツを探る」[1]が指摘されている通り、 これが同時代の慶雲初代留五郎に影響を与え、 後の「慶雲狛犬」につながったといわれています。
作品リスト(全て:28件)
奉献/建立年月 | 石工銘 | 石造物 | 神社/寺院 | ||
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1696年3月 | 元禄九丙子天三月 | 文右衛門 | 岸家墓碑 | 成仏寺 | |
(1766年11月) | (明和)三(丙戌年十一月) | 文右(衛門) | 石橋 | 福聚院 | |
1775年1月 | (安)永四未正月 | 文右衛(門) | 石燈籠 | 境木地蔵尊 | |
1781年10月 | 天明元辛丑歳十月 | 神奈川宿 文右衛門 | 題目塔 | 妙蓮寺 | |
1797年3月 | 寛政九丁巳歳三月 | 神奈川宿 岸文右衛門 | 山門塔 | 三会寺 | |
1799年2月 | 寛政十一年己未二月 | 神奈川宿 岸文右衛門 | 出羽三山塔 | 円光寺 | |
1803年2月 | 享和三癸亥歳二月 | 金川 岸文右衛門 | 金澤八景根元地碑 | 能見堂跡 | |
1813年11月 | 文化十癸酉年十一月 | (神奈川 文右)エ門 | 二之鳥居 | 淡島社 | |
1818年11月 | 文政元戊寅年十一月 | 神奈川飯田道 岸文右エ門 | 石燈籠 | 淡島社 | |
1829年6月 | 文政十二丑年六月 | (岸)文右エ門 | 石水盤 | 大石神社 | |
1836年1月 | 天保七丙申年正月 | 神奈川飯田(町) 岸文右ェ門 | 石水盤 | 大豆戸不動尊 | |
1865年 | 慶應元丑年 | カナ川 文右ヱ門 | 満翁徳行忌念碑 | 稲毛神社 | |
1873年11月 | 明治六癸酉年十一月 | 鶴見 (飯島吉)六/南品(川) 岸■■三郎 | 狛犬(左:子,右:子2&珠) | 戸越八幡神社 | |
1877年6月 | 明治十年第六月 | 神奈川飯田町 文右衛門 | 階段石標 | 川島杉山神社 | |
1880年2月 | 明治十三庚辰年二月 | 神奈川飯田道 岸文(右衛門) | 狛犬(左:子,右:子) | 一之宮社 | |
1881年1月 | 明治十四年一月 | 神奈川 岸文吉 | 狛犬(左:子,右:子2) | 大熊杉山神社 | |
1881年1月 | 明治十四年一月 | 神奈川 岸文吉 | 石燈籠 | 大熊杉山神社 | |
1881年10月 | 明治十四年十月 | 神奈川飯田町 岸文右エ門 | 題目塔 | 本乗寺 | |
(1881年) | (明治十四年) | 飯田町 石文 | 石水盤 | 貴雲寺 | |
1882年3月 | 明治十五年三月 | 神奈川驛 岸文右(エ門) | 階段石標 | 池辺杉山神社 | |
1883年5月 | 明治十六癸未年五月 | 神奈川飯田町 岸文右ェ門 | 階段石標 | 師岡熊野神社 | |
1883年8月 | 明治十六年八月 | 岸文右衛門 | 神社紀念碑 | 師岡熊野神社 | |
1888年3月 | 明治廿一年三月 | 岸文吉 | 階段石標 | 泉谷寺 | |
1890年1月 | 明治卄三季一月 | 神奈川 石文 | 講中碑 | 三会寺 | |
1890年10月 | 明治廿三年十月 | 文吉 | 階段積込石 | 淡島社 | |
不明 | 岸文右衛門 | 鳥居残材 | 片倉杉山神社 | ||
不明 | 神奈川飯田道 岸文右エ門 | 仏舎利塔台座 | 三会寺 | ||
不明 | (文化年間) | 神奈川宿 文右衛門 | 山門塔 | 雲松院 |