稲毛神社

所在地 神奈川県川崎市川崎区宮本町7−7
川崎の第一京浜沿いにある、大都会川崎の中心部にあるとは思えないほど広い神社です。敷地の中に多数の建物と境内社、石碑が残されています。拝殿前に狛犬様が2対おられますが、どちらも招魂タイプです。
訪問日 2023年3月,2023年6月,2024年3月,2024年5月,2025年11月

石鳥居

奉献/建立 嘉永二己酉歳二月[1849年2月]
石工銘 鶴見村 飯嶋吉六 / 六郷 竹内六之助
拝殿前の大鳥居です。左右の台座で、石工銘が異なっています。どちらも嘉永二年当時活躍していた石工なので、後世の再建/改修ではなく共同で作成したと思われます。

鳥居残材

奉献/建立 (享保三年)[(1718年)]
石工銘 不明
大鳥居説明札に書かれている、安政大地震で倒壊した先代鳥居の残材です。
側面に「元治元子(1864)年再建」という文字が見えます。

石水盤

奉献/建立 享保十四巳■六月[1729年6月]
石工銘 石屋 五(郎衛門)
正面奉納者銘の中に田中姓が見えますが、田中休愚の息子と手代だそうです[4]
石工銘は土に埋もれており、「石屋 五」までしか確認できません。狛犬小屋[2]によれば、右側面にあるのが、飯嶋吉六初代の五郎右衛門のようです。
水盤正面に大きく文字が書かれています。右側の文字が謎ですが、川崎市の資料[4]によれば、「奉」とされています。

山王宮碑

奉献/建立 天保年間
石工銘 飯嶋幸次
第一京浜側の入口から入って社務所手前右側に置かれています。稲毛神社は明治以前は「川崎山王社」と呼ばれていたそうです。石工銘は側面にありました。
「幸次」は飯島石工七代目の「幸次郎」が天保十二(1841)年に吉六を継ぐ前に使用した銘だとすると、年代的には天保年代と思われます。

石水盤

奉献/建立 萬延元庚申九月[1860年9月]
石工銘 鶴見 飯嶋吉六
山王宮碑と同じく、社務所手前右側に並んで置かれています。正面の紋(三つ巴)が陰刻(沈彫)されているのが、目を引きます。
石工銘は裏側にありました。

満翁徳行忌念碑

奉献/建立 慶應元丑年[1865年]
石工銘 カナ川 文右ヱ門
タテカワ講[5]が建立した碑です。すぐ後ろが境内社の浅間社となっています。石工は、岸文右衛門と思われます。

小土呂橋遺構

奉献/建立 寛保(三癸亥十二月)[(1743年12月)]
石工銘 (吉六 /佐兵衛)
橋脚の銘は年号から下が読めないので、説明板の記述をそのまま記載しています。(詳細な説明が記されており、本当に助かります)
橋脚右下に「石や」と「仕手」の文字が見えますが、それぞれに「佐兵衛」と「吉六」という文字が続いているようです。

石水盤

奉献/建立 昭和七年一月[1932年1月]
石工銘 東京青山 石勝
稲毛公園側から入って鳥居の先参道左手に手水舎があり、その中に置かれている石水盤です。
川崎を代表する神社だけあって、作は東京の名工石勝でした。

遺芳千秋碑

奉献/建立 昭和十八年七月[1943年7月]
石工銘 内藤慶雲
稲毛神社横の稲毛公園内に立っている石碑(第二次大戦中に建てられています)。碑自体は初代川崎市長石井泰助氏の功績を讃えた内容のようです。