山田神社

所在地 神奈川県横浜市都筑区南山田町3795
旧中原街道沿いの丘陵全体が神社になっており、 丘陵の南西端に中原街道に面した入口(一之鳥居)があり、 その足元にはその歳の干支像が置かれるようです。
ここから、急な階段と尾根筋を通る長い参道の先に拝殿のある境内がありますが、 鳥居の数が多い(脇鳥居含めて6基)のも特色だと思います。
また、尾根沿い参道及び境内に新旧種々の石造物が残されているところは、 近くの高田天満宮とよく似ています。

狛犬

奉献/建立 昭和八年十月[1933年10月]
石工銘 髙津町二子 石匠 小俣庄右衛門
狛犬タイプ 尾流れ(左:珠,右:子)
一之鳥居に続く長い階段を上がりきった場所に置かれています。 後期の小俣らしい立派な頬髭をお持ちです。

五之鳥居

奉献/建立 寛政六甲寅年九月[1794年9月]
石工銘 靏見村 飯嶋吉六
境内の入口にある表参道最後の鳥居です。 年代の割に彫が良く残っているのは山の上という環境のせいでしょうか。

石水盤

奉献/建立 文化八年辛未九月[1811年9月]
石工銘 神地村 松原傳右衛門
境内の左側にある手水舎で、 正面に「奉獻(献)」と彫られています。

鳥居残材

奉献/建立 明治三十一年二月[1888年2月]
石工銘 溝ノ口 内藤慶雲
境内西入口からの参道脇に、力石と並んで明治から大正にかけての 鳥居残材が置かれていました。
その中でペアで残されている台座残材に、 慶雲の銘が確認でいきました。
それ以外に、明治六酉年と明治三十年八月の鳥居台座、 土に埋もれた多数の脚材もありました。
「横浜市文化財調査報告書17」によれば、 大正十五年の小俣作の鳥居もあったようですが、 残材の中にそれらしきものは確認できませんでした。

二之鳥居

奉献/建立 大正十二年震災後三歳秋[1926年秋]
石工銘 末吉 清水弥太郎
狛犬のある段から階段を上がったところにある明神鳥居です。
鳥居脚に「大正十二年震災後三歳秋修理」とあるので 関東大震災(1923年)の三年後(1926年)の作としています。
「横浜市文化財調査報告書17」によれば、 以前はここに合祀された北山田神明社の鳥居だったようです。

石階再築碑

奉献/建立 (明治十一戊寅年)[(1878年10月)]
石工銘 神地 松原傳右衛門 / 二(子村) 小俣松五郎
二之鳥居手前の階段下脇に柱状の碑が置かれています。 碑が南面した坂の下にあるため、 裏(北)側に光が入らないのと剥落で写真がわかりづらいですが、 松原と小俣の石工銘が併記されています。
「横浜市文化財調査報告書17」によれば、明治十一年建立のようです。

一之鳥居

奉献/建立 明治三十一年五月[1898年5月]
石工銘 溝ノ口 内藤慶雲
境内の入口にある鳥居です。 周辺は近年整備され、鳥居も新しそうに見えましたが、 明治の慶雲作でした。
この神社にある6基の鳥居の中で、 これだけが神明鳥居です(他は明神鳥居)