横浜熊野神社

所在地 神奈川県横浜市鶴見区市場東中町9−21
旧東海道に面していて、鶴見川から川崎側へ少し入ったところにあります。 交通量も多く、始終人が行き来しています。 広々とした境内と数多くの石造物の存在は、 かつてこの神社が人々が集まる広場としての役割を持っていたことを 想像させます。

狛犬

奉献/建立 慶應二年柔兆摂提格孟■■[1866年]
石工銘 不明
狛犬タイプ 尾流れ
「柔兆/摂提格」で「丙寅」を意味します。 「孟」があるので、1,4,7,10月のどれかだと思うのですが。

改元記念碑

奉献/建立 大正二年九月[1913年9月]
石工銘 溝ノ口 内藤慶雲
神社入口は言って右手にあります。 碑表面に富士山の印があります。

添田知通壽像碑

奉献/建立 明治二十七年三月[1894年3月]
石工銘 鶴北齋鐫
改元記念碑の横にあります。 添田氏は神奈川県官吏元市場村名主だったようです[2]

日露戦争出征碑

奉献/建立 明治四十一年十一月[1908年3月]
石工銘 溝ノ口 内藤慶雲
添田知通壽像碑の横に台座が残っています。 台座に従軍者/戦死者の名前があります。 境内の隅に破損した石碑が並べられており、 これが元々立っていたと思われます。

句碑

奉献/建立 昭和二十一年五月[1946年5月]
石工銘 木村壽年
江戸時代の俳人、加舎白雄と大島蓼太が 東海道鶴見橋を詠んだ俳句の句碑だそうです[1]

石水盤

奉献/建立 天保八年(六月)[1837年(6月)]
石工銘 不明
書かれている文については、公式ページ[1]を 参照ください。 石はきれいに磨かれており、仕上げの良さが目を引きます。

石灯籠

奉献/建立 慶應三年強(圉)單閼春■■[1867年(5月)]
石工銘 鈴之森八幡 安五良
鹿島大神と同じく、 キャスター足のついた灯篭です。 「強(圉)單閼」で「丁卯」を意味します。 「鈴之森八幡」は磐井神社の別名鈴ヶ森八幡と思われます。

残欠

奉献/建立 明和元年閼逢涒潭冬十二月[1764年12月]
石工銘 不明
「閼逢/涒潭」は「甲申」を意味するようです。 何かに使われていた柱でしょうか。