横浜熊野神社
| 所在地 | 神奈川県横浜市鶴見区市場東中町9−21 |
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| 旧東海道に面していて、鶴見川から川崎側へ少し入ったところにあります。交通量も多く、始終人が行き来しています。広々とした境内と数多くの石造物の存在は、かつてこの神社が人々が集まる広場としての役割を持っていたことを想像させます。 | |
| 訪問日 | 2022年12月,2023年5月 |
日露戦争出征碑台座
| 奉献/建立 | 明治四十一年十一月[1908年3月] |
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| 石工銘 | 溝ノ口 内藤慶雲 |
| 添田知通壽像碑の横に台座が残っています。台座に従軍者/戦死者の名前があります。境内の隅に破損した石碑が並べられており、これが元々立っていたと思われます。 | |
句碑
| 奉献/建立 | 昭和二十一年五月[1946年5月] |
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| 石工銘 | 木村壽年 |
| 江戸時代の俳人、加舎白雄と大島蓼太が東海道鶴見橋を詠んだ俳句の句碑で、神社公式ページの境内案内[1]によれば、「朝夕や 鶴の餌まきか 橋の霜」と「五月雨や 鶴脛ひたす はし柱」の二句が彫られています。 | |


















































