矢向日枝神社

所在地 神奈川県横浜市鶴見区矢向4丁目16−2
多摩川と鶴見川に挟まれた自然堤防帯の南西端に位置している神社です。細長い境内には多くの石造物が置かれており、地域の信仰を今も昔も集めていることが伺えます。

狛犬

奉献/建立 文化二乙丑四月[1805年4月]
石工銘 不明
狛犬タイプ 尾立て
顎髭が見事で、筋骨も隆々な狛犬です。角は確認できましたが、宝珠はよくわかりませんでした。石工銘は不明ですが、江ヶ崎八幡(吉六)と感じが似ています。筋肉質なところとか尾の文様などが異なりますが、参考にした可能性はあります(江ヶ崎の狛犬は 17年前)

淺間大神碑

奉献/建立 大正二年三月[1913年3月]
石工銘 末吉 清水弥太郎
境内左側柵沿いに置かれています。「淺」は「浅」の異体字です。

石碑

奉献/建立 明治廿五年五月[1892年5月]
石工銘 末吉 清水弥太郎
境内左側柵沿いに置かれています。他に参考になる資料が無く、碑名がわかりません。正面には「造立山王二十一社一宇成就処」とあり、日枝山王信仰と関りがあるようです。

豊遊石記念碑

奉献/建立 明治廿九年一月[1896年1月]
石工銘 末吉 清水弥太郎
境内左側柵沿いに置かれています。豊遊石とは、いわゆる「力石」のことで、碑の前には大きな丸い石が置かれていました(ほとんど草に覆われていますが)。
碑には、石の由来と百貫目石を担いだ弥五郎への賛辞などが刻まれているそうです[3]

鳥居残材

奉献/建立 寛政六甲寅年三月[1794年3月]
石工銘 (鶴見村 飯島吉六)
『鶴見村石工・飯島吉六(謝辞[1])』や『鶴見の石碑(謝辞[7])』によれば、石工は「鶴見村 飯島吉六」だったようです。
現在鳥居脚は1本しか残されておらず、台石も半分土に埋もれている上に柵で近寄れないため、石工銘を確認することはできません。

西側石鳥居

奉献/建立 大正十四年七月[1925年7月]
石工銘 末吉 清水(弥太郎)
南北に長い境内ですが、その途中に西側からの入口がありそこに置かれている鳥居です。
かつてこの地が『橘樹郡町田村矢向』であったことに驚きます。
石工銘の下半分が埋もれて隠れていますが、おそらく「弥太郎」と思われます。