東福寺石塔群

所在地 神奈川県横浜市鶴見区鶴見1丁目4
鶴見川河口近くまで下末吉台地が迫っていますが、その中の小さな谷戸の奥に東福寺があり、そこへ登っていく参道の途中に札所塔などの石塔・石碑群が集められているようです。
※Google Map では現在「芭蕉句碑」で登録されています
全体が鉄柵で囲まれており、碑文を拡大して確認することができません。

道標

奉献/建立 寶暦三癸酉年十二月[1753年12月]
石工銘 飯嶌五良右衛門
正面上部に如意輪観世音を浮彫り、その下に「子生山観音江ノ道」と書かれ、下部左右に奉納者の「武蔵國住尾車文五良」と「上野國住荒邑五良」の名が書かれています。
背面には吉六初代と言われる飯島五郎右衛門の銘と建立者「東福寺現住法印寂照」の名が書かれれています。

芭蕉句碑

奉献/建立 文化十癸酉年如月[1813年2月]
石工銘 當所 飯嶌吉六
「鶴見の石碑(謝辞[7])」によれば、『観音の甍見やりつ花の雲』という句が書かれています。
江戸後期(天保期)に発行された「江戸名所図会・子生観音堂[1]」の左下に小さく円形の句碑が描かれています。「Google Earthで街並散歩(街道編)[2]」によれば、この碑は生麦村の文化人武橘庵白紙(ぶきつあんはくし)が、神奈川宿、川崎宿や近郷の俳諧連中と建立したものだそうです。