天王院

所在地 神奈川県横浜市鶴見区寺谷1丁目2−1
鶴見駅西口から西へ緩やかな坂を登っていくと、 天王院入口に出ます。 明治期までは鶴見町にありましたが、 東海道を走る汽車によって火災となり、 大正に現在地に移転しています。

飯島家墓碑

奉献/建立 (元禄三庚午天二月)[1690年2月]
石工銘 飯嶋
右側墓石の「諦観禅定門(元文二年没)」は初代金兵衛と言われています。 また、左側墓石右端の「光榮童子(軍治:慶應三年没)」は九代目茂吉の八歳で亡くなった子供で、 左端の「孝道落石信士(兼吉:明治七年没)」が十代目となった弟子の兼吉のようです。
右側墓石と左側墓石の間に約100年の空白があり、 寺院移転の際にいくつかの墓石が失われた(移転できなかった)と思われます。

佐久間健吉之碑

奉献/建立 明治十三年六月[1880年6月]
石工銘 飯島吉六
墓地の北西に佐久間家の墓苑が並んでおり、 その中に碑が立っています。
おそらく鶴見で代々名主を勤めた佐久間家[3]の縁者と思われます。

六地蔵

奉献/建立 不明
石工銘 (■島吉六)
本堂左側、墓地へ続く道の左手に 新旧の六地蔵が置かれています。 祠に入っている旧の方は吉六作とされていますが、 台座の剥落が著しく銘は確認できませんでした。

弘法大師像

奉献/建立 不明
石工銘 不明
本堂左脇の墓地へ続く道の左手、 墓地の手前に石仏群があり、 その中に弘法大師像が2体置かれています。 石仏群の中に本尊写(薬師)もありそうなのですが、 確認できませんでした。

弘法大師像

奉献/建立 不明
石工銘 不明
2体ある弘法大師像の左側の像です。

永代諸堂修復碑

奉献/建立 嘉永四辛亥年仲春[1851年2月]
石工銘 不明
「仲春」は陰暦の二月を指します。 願主の佐久間家は寺院墓地内に多くの墓苑がありました。 (吉六の墓碑も佐久間家のものです)