上末吉 真福寺

所在地 神奈川県横浜市鶴見区上末吉1丁目15−10
同じ場所に末吉不動尊も一緒に祀られています。鶴見川右岸側下末吉台地の東側崖斜面に寺院があります。
縁の下を南北に通る宝泉寺通り沿いには他に愛宕神社末吉神社があります。
寺門から本堂まで階段参道が4つ続き、2つ目と3つ目の間に山門があります。山門の左手には不動の滝があり、龍の口から湧き水が流れて落ちています。

弘法大師像

奉献/建立 天保二卯年四月[1831年4月]
石工銘 不明
霊場番/本尊写 三十七番/ - 
不動尊堂の右脇に3体の石像が置かれており、左端と右端が弘法大師像になっています。
左端の弘法大師像の台石には「四國 三十七番」と彫られており、奉納者である「小田村 大田やす」の銘も確認できます。

弘法大師像

3D表示(マウスで動かせます)
奉献/建立 天保二卯年四月[1831年4月]
石工銘 不明
霊場番/本尊写 三十九番/薬師
右端の弘法大師像には「四國 三十九番」と彫られており、左端と同様に奉納者「小田村 大田やす」の銘が残っています。
2つの大師像に挟まれた仏像は薬壺を持っているので、こちら(三十九番:赤亀山延光寺)の本尊写(薬師如来)像と思われます。

不動尊本殿敷石

奉献/建立 明治廿年亥一月[1887年1月]
石工銘 露木宗吉
不動尊本堂前の階段手前に1つだけ古い石材が使用されており、それが露木宗吉の敷石でした。他の基礎台は新しいので、改築時に先代の石材を残したのだと思われます(感謝)。

石燈籠

奉献/建立 昭和十六年五月[1941年5月]
石工銘 下末吉 清水一郎
不動尊本堂前の石燈籠です。

石水盤

奉献/建立 明治二十年(三)月[1887年3月]
石工銘 (飯)島吉六
本堂の前参道右側に手水舎があり、先代の石水盤がすぐ横に保存されていました。
正面の文字・紋が見事な水盤ですが、建立年銘と石工銘が一部が補修のために上塗りされているのが残念です。

石碑

奉献/建立 明治二十五年[1892年]
石工銘 寉見 飯島吉六
手水舎の反対側の木の茂みの中に、破損した石碑が置かれています。表面には「塔」の字しか確認できませんでした。

階段石標

奉献/建立 明治十四年九月[1881年9月]
石工銘 寉見 飯島吉六
山門から本堂へ繋がる階段参道の石標です。もう一つの階段や石坂供養塔より少し建立が早いようです(上から作ったのでしょうか?)。

石坂供養塔

奉献/建立 明治十五年五月[1882年5月]
石工銘 飯島吉六 / 露木宗吉
階段参道の途中、山門前にあります。吉六は地元鶴見、宗吉は神奈川宿のそれぞれ多くの寺社を手掛けている石工ですが、それだけ難工事だったのでしょうか。

階段石標

奉献/建立 明治十五年[1882年]
石工銘 寉見 石吉 /
山門から下の階段参道の石階標です。「石吉」という名は他では見られない石工銘です。石坂供養碑の存在、上側の階段石標とデザインが同じこと、建立時期がそれらと同じであること、「寉見」が吉六の作でよく見られる表現であることなどから、吉六/宗吉の「チーム名」と解釈しています。

寺号標

奉献/建立 (大正九年四月)[1920年4月]
石工銘 鶴見 松原為三郎
左側に「末吉不動尊」、右側に「開運疫神除」と彫られた石柱(寺号標)が寺院入口に立っています。「疫神除」は、疫病をなす神を鎮めるために刻まれる文字だそうです。
奉納年銘は接する壁に隠されているようですが、「鶴見川流域フィールドワーク調査報告Ⅱ(謝辞[37])」によれば、大正九年四月の銘があったようです。