品濃白旗神社

所在地 神奈川県横浜市戸塚区品濃町518−7
権太坂を登って境木から旧東海道が尾根筋を降りてくると現在の東戸塚で、そこに神社があります。ショッピングセンターやマンション群に囲まれていますが、神社と後背地の公園が一体として保存されており、駅前とは思えないほど自然が良く残っています。
かつて弘化五年の吉六鳥居がありましたが、平成二十四年に撤去されたようです(残材も確認できませんでした)。

狛犬

奉献/建立 慶應二年丙寅十一月[1866年11月]
石工銘 金川荒宿町 (豊治郎)
狛犬タイプ 尾流れ(左:子,右:子)
目が丸く、大きな伏せ耳が特徴の狛犬です。彫りのメリハリと、バランスの良さが感じられます。
本体に比べて台座の摩耗が厳しく、石工銘は判読困難だったため、「横浜市文化財調査報告書(謝辞[26])」を参照しています。
豊治郎は神奈川宿荒宿の石工で、ここ白旗神社の2点を含め、幕末(1860年代)に4点の作品が残されています。

階段石標

奉献/建立 嘉永二酉三月[1849年3月]
石工銘 吉六
階段参道の一番上の石標です。

石燈籠

奉献/建立 慶應二丙寅年十一月[1866年11月]
石工銘 金川荒宿町 豊治郎
階段参道の入口に置かれており、狛犬と同じ荒宿の石工 豊治郎の作です。
建立年銘が独特の書体ですが、「東海道神奈川宿の石工たち(謝辞[3])」によれば"慶應二丙寅年"と書かれているようです。

石水盤

奉献/建立 天保十三壬寅十一月[1842年11月]
石工銘 寉見橋 飯嶋吉六
入口鳥居をくぐるとすぐ右手に置かれています。背面のパイプで見えませんが、願主の住所「一里山」は、神社の北東約600mのところあった、旧東海道の一里塚周辺の地名です[5]

富士講碑

奉献/建立 嘉永元年戊申六月[1848月6月]
石工銘 ツルミ 吉六
神社後背地にある白旗山公園の頂上付近にいくつかの石碑と一緒に立っています。
現在通路側に裏が向いているので、かつては神社側からの登り道があったと思われます。表面には「富士の山 登りて見れば なにもなし 悪きもよきも 我心也」という富士講指導者の和歌[4]が彫られているようです。(達筆すぎて解読不可能ですが)