伊勢山皇大神宮

所在地 神奈川県横浜市西区宮崎町64
横浜の総鎮守として有名な神社です。紅葉橋を渡ってすぐ左斜め方向へ坂を登っていくと神社入口となります。参拝/観光客は後を絶たず、写真は消しゴムツールで加工(人物除去)しています。

注連縄柱

奉献/建立 明治二十二秊夏六月[1889年6月]
石工銘 露木宗吉
注連縄柱(注連柱)は鳥居の原型ですが、ここでは形状から石碑扱いしています。
柱の字体と合わせて石工銘も崩し字で書かれています。奉納者として「二葉楼主 原田久吉」の名がありますが、神奈川区本覚寺にある墓碑も露木宗吉が手がけています。

表忠碑

奉献/建立 明治三十九年四月[1906年4月]
石工銘 横溝豐
碑面上部に「横濱商業學校出身陣歿之士」とあり、日露戦役で戦死した横浜商業高等学校(Y高)出身者が祀られた碑で、同校同窓会によって建立されています。
石工は横浜日ノ出町の横溝豊吉で、横須賀のペリー上陸記念碑[4]根岸共同墓地の佐藤直次郎墓碑なども手がけています)。
※碑銘を「表忠碑」と読みましたが、「横浜市文化財調査報告書第27輯(謝辞[22])」では「彰忠碑」としています。

横浜伊勢山碑

奉献/建立 (明治七年一月)[1874年1月]
石工銘 井溢泉
参道階段途中の左手に置かれています。ここに伊勢山皇大神宮が建立されていきさつが漢文で書かれています。
石工銘の「井溢泉」は、江戸三大石工の一人「井亀泉」の関係者でしょうか?
建立年銘は表面には見当たらなかったため(背面は立ち入れない)、神奈川県神社庁の記載[5]を引用しています。