綱島諏訪神社

所在地 神奈川県横浜市港北区綱島東2丁目10−1
綱島街道から急な坂を上ったところにあります。 また、東側からも階段参道があり、 綱島街道によって山が分断される前はこちらが正門だったようです。 吉六作の文化五年の灯籠(残材)と明治十三年の手洗鉢があるとされていますが、 確認できていません。

狛犬

奉献/建立 天保十二重光赤奮若文月[1841年7月]
石工銘 寉見橋 飯嶋吉六
狛犬タイプ 尾流れ(左:子,右:子)
吉六らしい傑作&銘品です。 左右とも子狛がいますが、その表情や授乳の仕草など造形が素晴らしいです。 親狛の方は逆に筋骨隆々の表現で、彫も深く圧倒されます。
狛犬小屋[1]によれば、 「重光」=「辛」、「赤奮若」=「丑」だそうです。 2024年2月に再訪すると、 以前から右側(阿像)にくくりつけられていた看板が取り外されていました(感謝)。

石水盤

奉献/建立 慶應二丙寅年三月[1866年3月]
石工銘 吉原三五(良)
境内右側に手水舎があり、 その中に「灌浴」と彫られた石水盤が置かれています。 発願主は飯田姓で、石工は諏訪宮東門碑と同じようです。

出羽三山碑

奉献/建立 寛政十一季次己未十一月[1799年11月]
石工銘 飯嶋吉六
拝殿の裏に置かれています。 「月山/湯殿山/羽黒山」と彫られた円形蓮華座の下に 「天下泰平/供養塔/国土安穏」と彫られています。
石工銘はありませんが、 世話人の中に「飯嶋吉六」の名が見えるため 吉六の作とされているようです。

石燈籠

奉献/建立 天保十己亥年七月[1839年7月]
石工銘 靍見橋 飯嶋吉六
東側階段参道の両脇に、3メートル近い高さの石燈籠が置かれています。 右竿に「五穀成就」、左竿に「万民豊楽」と彫られています。 やはり吉六の作で、狛犬の2年前となります。

階段石標

奉献/建立 文政十三庚寅年七月[1830年7月]
石工銘 靍見 飯嶋吉六
東側の階段参道の最下段に石標が残っています。 吉六の銘がありますが、狛犬の11年前になります。
「横浜市文化財調査報告書17」では 『文政年代における本格的石段構築の例として注目される。』と 記載されています。

石鳥居

奉献/建立 天明八歳戊申七月[1788年7月]
石工銘 不明
東側の階段参道入口にある鳥居です。 台座が地中に埋め込まれているため、 もしかすると、石工銘はそちらにあるのかも知れません。

鳥居扁額

奉献/建立 (嘉永七甲寅)二月[(1854年)2月]
石工銘 (飯嶌吉六)
階段参道にある鳥居の扁額です。 高い位置にあるため、写真がうまく撮れません。 「鶴見村石工 飯島吉六 補遺(謝辞[2])」によれば、 右側面に年銘と石工銘があるようです

社号標

奉献/建立 昭和三十一年九月[1956年9月]
石工銘 溝口石匠 慶雲
綱島街道側の西側入口坂道下、石垣脇に置かれています。 背面に「階段百余級完成記念」と記されています。

諏訪宮東門碑

奉献/建立 慶應三丁卯春三月[1867年3月]
石工銘 吉原(三)五良
諏訪神社から100mほど東側に立っています。 かつては、こちらが本参道だったようです。 正面に「諏訪宮東門」、右面に「日月清明」、 左面に「天下和順」、背面に建立年銘が彫られ、 書は池谷氏によるものです。
石工銘は一部欠けていますが、境内にある石水盤と同じと判断しています。