綱島神明社

所在地 神奈川県横浜市港北区綱島東2丁目2−19
はまれぽ[1]によれば、かつて綱島神明社と綱島諏訪神社は同じ丘陵の西と東に位置していたようです。しかし階段石標の奉納年は明治十三(1880)年で、東急線開通(1926)や新綱島街道(昭和初期)よりもかなり古く、それらの工事以前から丘陵の真ん中に古道があり、そこからの(東側からの)階段参道が存在したようです。

台座

奉献/建立 明治十三年辰秊四月[1880年4月]
石工銘 神地 松原祐太朗
台座自体の状態は良く残っていまが、上部がありません。周囲に燈籠の残材らしきものがあるため、石燈籠の台座だったと思われます。

桃雲臺碑

奉献/建立 昭和十年十月[1935年10月]
石工銘 原町田 湯上石材店
かつて綱島に桃畑が広がっていたことを示す石碑です。
横浜貿易新報社(現神奈川新聞)が社業45周年にあたる昭和10年に県下45名勝史蹟を選定し建てた碑の一つです。
他に妙香寺林光寺に碑が存在します。

石水盤

奉献/建立 明治十三年四月[1880年4月]
石工銘 飯嶋
台座と同時期です。水盤正面に奉納者名が列記されています。また、その先頭に池谷姓が見られます。

階段石標

奉献/建立 明治十三年辰四月[1880年4月]
石工銘 寉見 飯嶋(吉六)
階段参道の入口、綱島街道に面した所にあります。人通りも多い道で、よく破損せずに残っていたと思います。