高田天満宮

所在地 神奈川県横浜市港北区高田西3丁目25−1
日吉元石川道路の高田駅入口から北へいったところにあります。 神社入口から急な階段参道が続いており、登りきったところに 拝殿のある境内があります。 境内はかなり広く、そのためか石碑や残欠が数多く残されています。 同一場所で吉六の「飯島」「飯嶋」「飯嶌」の三種類の銘を確認できるのは 他にないと思います。

狛犬

奉献/建立 不明
石工銘 不明
狛犬タイプ 尾流れ
階段参道を上がりきったところに狛犬が置かれています。 台座が作り直されており、元の銘が確認できませんでした。 また、再建時に左右を入れ替えているような気がします。 狛犬探訪[1]でも指摘しているように 頭部と本体が、ややアンバランスです。 砂岩系の石で作られているようで表面の摩耗も目につきます。

基壇石標

奉献/建立 明治卅一年十月[1898年10月]
石工銘 溝ノ口 内藤慶雲
拝殿の基壇に石標が埋め込まれています。 このような基壇の上端の縁にある、 縁石(へりいし)を兼ねる長方形の石を 「葛石」と呼ぶようです。

石標残材

奉献/建立 天保十二辛丑九月[1841年9月]
石工銘 鶴見橋 飯嶌吉六
慶雲が改修する前の拝殿基壇に使われていた石標のようです。

菅公千年祭紀念碑

奉献/建立 明治三十五年三月[1902年3月]
石工銘 飯嶋鶴北齊
境内右手に小高い場所があり、稲荷境内社と石碑が置かれています。

堅牢地神塔

奉献/建立 文政八乙酉歳九月[1825年9月]
石工銘 不明
菅公千年碑の隣に置かれています。 横浜でよくみられる石塔のようです[3]

石水盤

奉献/建立 享和四(年)三月[1804年3月]
石工銘 不明
菅公千年碑へ上がる階段の右手前に置かれています。 (正面に梅鉢紋があるのも、菅公由縁かも知れません)
奉納年銘の「四」は少し土を掘って確認しました。 (享和四年は二月で文化に改元されているので、 前もって奉納予定を彫っていたようです)

奉納御宝前

奉献/建立 文化四丁卯六月[1807年6月]
石工銘 不明
拝殿左側のおみくじ掛けの裏に立っています。 現在その後ろには何もありません。

鳥居残材

奉献/建立 享和四甲子歳三月[1804年3月]
石工銘 鶴見村 飯嶋吉六
境内の参道右側に、 鳥居の残材が複数置かれています。

鳥居残材

奉献/建立 不明
石工銘 (十)一代目 飯島吉六
同じ鳥居残材なので、 享和四年の残材の一部と思ったのですが、 明らかに石工銘が異なっています。 おそらく十一代目吉六(明治時代)の手によるものと思われます。

建設費寄付碑

奉献/建立 昭和三年十一月[1928年11月]
石工銘 東京都荏原群大森町 平林𫟒太郎
神社入口脇に立っています。 昭和三年に階段参道が整備されたようで、 入口の鳥居も同じ年の建立です。