三会寺

所在地 神奈川県横浜市港北区鳥山町730
横浜上麻生道の岸根交差点から北へ進み、三会寺入口を曲がったところにあります。観音堂など、境内は最近整備されたようです。
吉六の光明真言塔は寺院からかなり離れた場所にありますが、本来はそこが参道入口だったとのことです。

仏舎利塔台座

奉献/建立 不明
石工銘 神奈川飯田道 岸文右エ門
寺門を入って右手に、パコダ塔とも呼ばれる高さ3メートルはある仏舎利塔があります。
「横浜市文化財調査報告書」によれば、塔部は大正十一年八月に建立されていますが、石工銘がある台座石とパコダが載っている蓮華座は、宝篋印塔から流用されているとのことです。
石工銘の末尾に「常貞」という文字が見えるのですが、岸文右衛門の名前でしょうか?

石水盤

奉献/建立 寛政九巳天三月[1797年3月]
石工銘 不明
仏舎利塔の前に置かれています。講中碑,山門塔,光明真言(金剛)塔と同じ建立年月です。

講中碑

奉献/建立 明治卄三季一月[1890年1月]
石工銘 神奈川 石文
本堂左手、墓地の入口前に建っています。「石文」とは岸文右衛門の屋号のようです[3]

光明真言塔

奉献/建立 (文政五壬午年三月)[(1822年3月)]
石工銘 (鶴見村) 飯嶋吉六
入口山門の右脇に建っています。右側面にあったはずの建立年銘が剥落しています。また台座の石工銘も薄くなっており読み取りにくいです。

山門塔

奉献/建立 寛政九丁巳歳三月[1797年3月]
石工銘 神奈川宿 岸文右衛門
寺院寺門右、吉六の光明真言塔と並んで置かれ、正面に禅宗の結戒である「不許葷酒入山門内」が彫られています。
左側面に寄付録が記されていますが、奉納額として「金百疋」と「南一片」が見えます。金百疋は 1/4両に相当します[4]が、南一片は(古)南鐐二朱銀[5]を意味していると推測しています。(であれば、二朱=1/8両相当となります)

光明真言(金剛)塔

奉献/建立 寛政九丁巳歳三月[1797年3月]
石工銘 靏見村 飯嶋吉六
所在地 地図
境内にはなく、寺門から西へ100m弱進んだ突き当りの角に置かれており、正面に梵字と「大師遍照混合」「光明真言」「烏山三會寺」が彫られています。
山門塔と建立年月が同じですが、こちらは吉六作です。
台座裏の石工銘の左右に山門塔と同様の奉納録が記されており、右側の人は「金百疋」、左側の人は「南一片」を納めています。