興禅寺

所在地 神奈川県横浜市港北区高田町1799
鶴見川左岸(北側)下末吉台地の中を西から東へ流れ最後に鶴見川と合流する早淵川が作った谷戸の北側斜面を登り切った丘陵台上に寺院があります。
境内に鎌倉時代と思われる石幢(せきどう)、板碑がありなど、古刹であることを感じさせます。
※「混凝土」=「コンクリート」

石灯籠

奉献/建立 明治廿七年春彼岸會中[1894年3月]
石工銘 鶴見橋 飯嶋吉六
本堂の前に置かれています。よく見ると、竿部の石材が新しく見えるので修復されているのかも知れません。とはいえ、頭(屋根)が大きく猫足という特徴は残っています。願主は日本橋小舟町の方のようです。

本堂屋根改造記念碑

奉献/建立 昭和十一丙子年八月[1936年8月]
石工銘 内藤慶雲
本堂右手に置かれています。「改造」であっているのでしょうか・・

石水盤

奉献/建立 明治十二年己卯七月[1879年7月]
石工銘 神地住 松原祐太朗
参道右手にあります。

宝篋印塔

奉献/建立 明治十二年秋彼岸會[1879年9月]
石工銘 神地住 松原祐太朗
参道から左へ多宝塔の手前にあります。

鐘撞堂土台

奉献/建立 明治十八年乙酉十二月[1885年12月]
石工銘 (字神地住 松原祐太朗延寶)
寺院の西側角の少し高くなった場所に鐘撞堂があります。その土台石垣四面に石標が埋め込まれており、奉納者や奉納年銘が記されています。
「鶴見川流域フィールドワーク調査報告Ⅱ(謝辞[37])」によれば、この中に石工銘があったようなのですが、剥落箇所が多く、見つけることができませんでした。

句碑

奉献/建立 明治八年乙亥十二月[1875年12月]
石工銘 神地村 松原傳右衛門
山門の外側手前左脇に置かれています。こちら[4]に内容によると、芭蕉最後の句の『推敲前の句』が刻まれているように見えます。

墓碑

奉献/建立 明治三十九年四月[1906年4月]
石工銘 溝ノ口 内藤慶雲
寺院東側の墓苑の中に並んで建っています。どちらも日露戦役で戦死された方の墓碑で苗字も異なりますが、おそらく慶雲が同時に作成したと思われるため、まとめて掲載しています。

地蔵坐像

奉献/建立 大正九年秋彼岸會[1920年9月]
石工銘 溝口 内藤慶雲
寺院東側の墓苑中央部に歴代住職廟があり、その中に高い台石の上に置かれています。