金蔵寺(日吉不動尊)

所在地 神奈川県横浜市港北区日吉本町2丁目41−2
日吉駅から普通部通りを抜け、赤門坂を下っていくと右手に寺門が見えてきます。日吉台という丘の斜面にそって寺院境内が広がっています。境内はよく整備され、地名の由来となった権現が丘の上にあります。

石水盤

奉献/建立 明治十五年一月[1882年1月]
石工銘 寉見橋 飯島吉六光茂
極彩色の手水舎の中に石水盤が置かれています。側面の下の方に石工銘が残っています。「光茂」は九代目吉六の茂吉が使用した名前です。

不動明王浮彫像

奉献/建立 嘉永二酉年五月[1849年5月]
石工銘 (六郷 六之助)
奥之院不動堂へ続く坂の途中に祠が並んでいますが、その中の一つで、横穴の中に石仏が3躰並んでいます。「横浜市文化財調査報告書17(謝辞[8])」によれば、真ん中の不動明王の浮彫像の側面に建立年銘と石工銘があるはずですが、下半分が摩滅して石工銘を確認することができません。また報告書では「六五郎」となっていますが、「六郷」の石工ということから、「六之助」の誤りと思われます。

頌徳碑

奉献/建立 明治四十二年八月[1909年8月]
石工銘 内藤慶雲 / 片野藤吉
表側に慶雲の銘があり、裏側には片野藤吉の銘があるので表と裏で作業を分担したのかも知れません。
なお、藤吉は無量院の頌徳碑でも別の石工(飯嶋吉六)と協働しています。