称名寺

所在地 神奈川県横浜市金沢区金沢町212−1
京急金沢文庫駅から東へ約800m進んだところに入口である赤門が建っています。そこから北へ参道を 150mほど進んだところが、境内の入口である仁王門となります。
歴史と伝統のある寺院にふさわしく、境内や背後の山中に数多くの石造物が残されていました。

地蔵菩薩像

奉献/建立 天保五甲午年十月[1834年10月]
石工銘 ツルミ 飯嶋吉六
所在地 地図
赤門から仁王門へ至る参道の左側に、称名寺の塔頭の一つである光明院の表門があり、その門前右側に、吉六の地蔵菩薩像が置かれています。
右手に錫杖を持ち、左手に宝珠を捧げた延命型坐像で、やや下向きの端麗な表情をしておられ、下に敷いた布が垂れ下がる様子まで細かく表現されています。
台座正面に「延命地蔵菩薩」とあり、右側面の第一台座に奉納年銘が、第二台座に石工銘が記されています。
※表門は横浜市最古の建造物である他、平成10年に大威徳明王坐像が運慶の作であることが確認され話題になりました[2]

石燈籠

奉献/建立 寛政十戊午歳五月[1798年5月]
石工銘 武田勘六
本堂右手、鐘楼の後ろに1つだけ置かれています。「フランス語と、鎌倉と、私と。。。[3]」によれば、江戸の米問屋・石橋弥兵衛によって奉納されたとのことです。(燈籠正面に「石橋氏」とあります)

百番観音並観音堂建設之碑

奉献/建立 昭和十年十月[1935年10月]
石工銘 新潟縣長岡市 諸橋賢次
本堂から左手へ進んだところに置かれています。隣に「百番観音霊場登口」と書かれた碑もあります。「三浦半島お勧め情報ブログ[4]」によれば、昭和10年に北条実時公没後660年祭として、称名寺の裏山に観音堂や100番札所を整備して一般開放したことを紀念した碑のようです。

忠魂碑

奉献/建立 (昭和十一年四月)[(1936年4月)]
石工銘 小松家 淺葉得次郎
仁王門から入って境内右手に置かれています。「桜花の絆[5]」によれば、『日清戦争、日露戦争、筑波爆沈、満州事変による戦死者7柱を合祀した忠魂碑。昭和11年4月建立。基壇は左右両側に階段が付く独特の形状』とのことです。