能見堂跡

所在地 神奈川県横浜市金沢区能見台5丁目37−12
江戸の頃は金沢文庫駅付近まで海だったようで、高台にあった能見堂からは絶景を見ることができたそうです。能見堂の前には、保土ヶ谷と金沢の六浦陣屋(現金沢八景駅)を結ぶ旧道(金沢道)が通っていましたが、現在はハイキングコースとなっています。

金澤八景根元地碑

奉献/建立 享和三癸亥歳二月[1803年2月]
石工銘 金川 岸文右衛門
碑文は「亢」のように見えますが、おそらく「亓=元」⇒「根元」で、ここが金沢八景の発祥の地であることを示しています[1]
碑の左側面や台石には、「丸屋町/山汲町/左衛門町/八官町・・」といった江戸の町名と人名が並んでいます。碑本体と台石の石材や書体が若干異なるような気がするので、もしかすると江戸から運ばれた碑を、神奈川宿の岸文右衛門が台石に据え付けたのかも知れません。

丸井一堂君之碑

奉献/建立 不明
石工銘 佐々木九兵衛
なぜか石碑説明板に掲載されていない碑です。上部が欠けている上に碑文が判読不能なのですが、「いにしえの旅へいざない隊[2]」によれば、「丸井一堂の碑」と書いてあるようです。また、「能見堂跡石碑『丸井一堂君之碑』の正体を探る[3]」という書籍もあるようです(未読)。
佐々木九兵衛は、森浅間神社の石燈籠や、瀬戸神社の石燈籠を作った地元の石工です。