一之宮社

所在地 神奈川県横浜市神奈川区入江1丁目13−16
第一京浜の入江橋交差点から北へ上がったところに神社入口があります。そこから東に参道が伸びていて、住宅に囲まれた階段参道を上がると境内があります。階段参道下に現代/昭和タイプの狛犬が置かれています。東側にも入口があり、鳥居の奥に戦争関連の石碑が集められています。多くの石造物が残されていることから、地域で長く大事にされてきた神社であると強く感じられます。

狛犬

奉献/建立 明治十三庚辰年二月[1880年2月]
石工銘 神奈川飯田道 岸文(右衛門)
狛犬タイプ 尾流れ(左:子,右:子)
階段参道の途中に、茂みに隠れるように狛犬が置かれています。現代狛犬の台座に明治十三年と昭和二年の2つの建立年銘があるので、こちらの狛犬が最初二之鳥居前にあったようです。頬を膨らませた子狛の愛らしさは、岸文吉が作成した大熊杉山神社の狛犬と共通するところがあります。狛犬小屋[3]が指摘されているように、内藤慶雲ともよく似ている顔つきや前脚から、そのルーツとする見立ても納得できます。

二之鳥居

奉献/建立 文化九壬申姑洗[1812年3月]
石工銘 飯島吉六 /津之■磯右エ門
階段参道の下にあります。「姑洗」は三月の別名です。

狛犬

奉献/建立 不明
石工銘 不明
狛犬タイプ 獅子山
境内社の右の木の下に狛犬が片方だけ寂しげに置かれています。脚の形から獅子山タイプと見られますが、もう片方は見当たりませんでした。

社号標

奉献/建立 大正拾五年九月[1926年9月]
石工銘 子安 石音
入口入ってすぐ左手に置かれています。裏面の「岩澤幸蔵」氏が何者なのかは不明です。また、木遣塚の上に社号標が載っている経緯もよくわかりませんでした。

狛犬

奉献/建立 安永七戌年正月[1778年1月]
石工銘 不明
狛犬タイプ 尾立て
中参道の入口に置かれていますが、通常と逆の左側が阿像になっています。狛犬直下の台座には「大正十二年六月修繕」とあり、さらにその下の台座に「安永」の銘が入っています。その古さを考えると、ここまで大きな破損なく残されている事が驚きです。

石水盤

奉献/建立 嘉永三戌年七月[1850年7月]
石工銘 不明
東側入口入って右手に置かれています。

日露戰役紀念碑

奉献/建立 明治三十九年五月[1906年5月]
石工銘 岩澤音吉
石碑群の一番奥に鎮座しています。

日露戰役忠魂碑

奉献/建立 明治三十九年五月[1906年5月]
石工銘 岩澤音吉
建立は日露戰役紀念碑と同時で、石工も同じです。その後で、正面の左隅に「附 満州事變」という文字が追加されたようです。

日獨戰役紀念碑

奉献/建立 大正十三年八月[1924年8月]
石工銘 金子久太郎
第一次世界大戦の戦役紀念碑は珍しいと思います。

日露戦役旅順口占領紀念碑

奉献/建立 明治丗七八年[1904年]
石工銘 不明
「明治三十七八年」という表現は箕輪諏訪神社の狛犬にも見られます。日露戦争に共通する表現なのかも知れません。