清来寺

所在地 神奈川県横浜市旭区今宿南町1895
多摩丘陵内を東南方向へ流れる帷子川が削った谷の南側(右岸)斜面に寺院があります。

狂犬供養塔

奉献/建立 大正五年六月[1916年6月]
石工銘 愛甲郡玉川村七沢 黄金井元吉
本堂左手から坂に沿って広がる墓地の隅に犬の像を載せた供養塔が置かれています。
「横浜市文化財調査報告書(謝辞[21])」では、『狂犬撲殺供養塔』として記載されています(当時狂犬は撲殺するよう国から指示がでていました)。
「わが国における犬の狂犬病の流行と防疫の歴史[1]」には、『大正5(1916)年、神奈川県愛甲郡都岡村 (現横浜市旭区今宿南町) での発生は三十余頭の被害犬を生み、その惨状に心を痛めた清来寺の曽我順彰住職ら有志16名が被害犬の遺骨を埋葬し、犬形石像の墓碑を建立しており、現在も清来寺により供養されている。』と記されています。
犬の像には首輪があり、「畜犬=飼い犬」だったことが伺えます。幸いにして狂犬病は現在抑止されていますが、狂牛病や鳥インフルなど多くの命が犠牲になる感染症との闘いは今も続いています。

武功表彰碑

奉献/建立 明治三十八年四月[1905年4月]
石工銘 飯島吉六
墓地中ほどにある、西川家の墓苑内に建てられています。日露戦役に従軍し、二〇三高地で戦死した「陸軍工兵上等兵西川廣吉」の慰霊顕彰碑です。
川崎町堀之内の恤兵會/奨兵義會が建立しており、吉六が手掛けたのもその関係かも知れません。
※「桜花の絆[2]」に碑文が掲載されていますが、一部「ヲ」が「プ」と表記されています(文字認識の誤読?)。