子ノ神社
所在地 | 神奈川県横浜市青葉区たちばな台2丁目22−1 |
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多摩丘陵内を西から東へ流れる鴨志田川が鶴見川に合流する手前の右岸(南側)斜面に神社があります。 |
残材
奉献/建立 | (嘉永二年)[1849年] |
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石工銘 | 登戸 吉沢光信 |
境内社(庚申堂?)の裏にいくつかの石材(残欠)が置かれており、その中の一つに石工銘が残されていました。 他の石材には「十方他力」の他人名が多数並んでおり、なんらかの石造物(階段とか敷石)の奉納に対する紀念碑/供養塔の一部と思われます。 奉納年銘は見つかりませんでしたが、境内社横に置かれている石水盤と世話人の名前(今井忠八)が同じであることから同じく境内社前の石燈籠と同じ嘉永二年と思われます。 |
石水盤
奉献/建立 | 明治十二第三月[1889年3月] |
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石工銘 | 不明 |
拝殿と境内社の間に置かれていますが、裏側が破損していることから先代石水盤と思われます。 がまん様も破損があるもののお姿が残っていることに感動です。 |
長野正男之墓
奉献/建立 | 昭和二十九年九月[1954年9月] |
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石工銘 | 金井 |
神社との関連は不明ですが、神社北側に隣接している墓地内の墓碑です(所管寺院が不明のため、ここに掲載します)。 太平洋戦争に従軍し、昭和十九年に戦艦山城と共に沈んだ方の墓碑/慰霊碑です。 |
澀谷貞雄之墓
奉献/建立 | 昭和十八年一月[1943年1月] |
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石工銘 | 金井茂 |
「澀」は「渋」の異体字です。太平洋戦争に従軍し、緒戦のマレー半島の作戦中に戦死された方の墓碑です。 戦時中に立てられているため、碑文の文調が他の慰霊碑と若干異なっています。 |