上恩田富士塚

所在地 神奈川県横浜市青葉区桂台1丁目15
鶴見川・恩田川・鴨志田川に囲まれた多摩丘陵の中心部、整然と区画整理され住宅が立ち並ぶ中に、石碑と祠だけが立ち並ぶ一角があります。
かつてこの近く(北10mほど)にあった六角形の富士塚にあった石造物群がここへ移されたようです[1][2]

富士講碑

奉献/建立 天保十四癸卯星(二月)[1843年2月]
石工銘 二子村 松(五郎)
板状の碑で、正面に「参明藤開山」と彫られています(富士山を無心に信奉すれば、道は開けるという意のようです)。
石工銘の下半分は土に埋まっていますが、「鶴見川フィールドワークⅡ(謝辞[37])」を引用しています。

石水盤

奉献/建立 弘化二巳年三月[1845年3月]
石工銘 二子 松五郎
石碑群の西端に置かれています。正面に「冨」の字が彫られ、富士講による奉納であることがわかります。