瀬田玉川神社

所在地 東京都世田谷区瀬田4丁目11−31
二子の渡し(二子橋)から大山街道(国道246号)を北へ進み、国分寺崖線下を流れる丸子川(六郷用水)に沿って西へ 200mほど進んだところから崖線斜面の途中に神社入口があります。さらに階段参道を上った先が境内となります。
寺社や住宅に周りを囲まれ、品の良い静寂を感じさせる神社です。境内には小俣と慶雲の石造物が多数あり、両者が拮抗して神社と繋がっていたことが感じられます。

狛犬

奉献/建立 明治三十二年四月[1899年4月]
石工銘 溝ノ口 内藤慶雲
狛犬タイプ 尾流れ(左:子,右:子)
狛犬は計3対ありますが、最も拝殿に近い場所に置かれています。慶雲は明治三十二年に4対の狛犬を作成していますが、伊豆美の狛と内藤慶雲[2]によれば、その中で唯一初代の特徴である「パピヨンタイプ」となっています。狛犬小屋[3]では、初代最後の作と推測されています。

脇鳥居

奉献/建立 明治二十八乙未年八月[1895年8月]
石工銘 溝口 内藤慶雲
境内北側からの入口です。狛犬の4年前の建立になります。

植樹記念碑

奉献/建立 大正四年十月[1915年10月]
石工銘 小俣庄右衛門
階段参道を登ったところにある右側石燈籠の横に置かれています。「世田谷 玉川村名所物語[4]」によれば、昭和天皇が東宮時代に多摩川での演習視察の際に植樹されたことを記念した碑です。

玉川神社碑

奉献/建立 大正四年十一月[1915年11月]
石工銘 内藤慶雲
境内の北側社務所前の駐車場脇にあります。

石水盤

奉献/建立 元禄三庚午八月[1690年8月]
石工銘 不明
神社碑の前に非常に古い石水盤が置かれています。

戦役紀念碑

奉献/建立 明治四十一年二月[1908年2月]
石工銘 二子 小俣庄右ェ門
神社碑の横にあります。

石水盤

奉献/建立 明治廿一年十月[1888年10月]
石工銘 溝ノ口 内藤慶雲
戦役紀念碑の前に石水盤が2つ置かれています。これは左側のもので、慶雲の作です。

石水盤

奉献/建立 明治廿九?年十月[1896?年10月]
石工銘 二子 小俣松五郎
これは右側の水盤です。銘がほとんど摩耗しており、一部推定です。隣の慶雲作とほぼ同時期ですが、同じ「奉納」でも右払いが強調された書体となっています。