下丸子六所神社

所在地 東京都大田区下丸子4丁目16−5
多摩川沿いの住宅地の中にあります。細長い敷地参道に一之鳥居と二之鳥居があります。石水盤も古そうなのが残っているのですが、銘が摩滅して詳細不明でした。
多摩川を挟んで反対側に、同じ飯島吉六の狛犬がある 中丸子神明神社があります。

狛犬

奉献/建立 天保十己亥年二月[1839年2月]
石工銘 靏見橋 飯嶌吉六
狛犬タイプ 尾流れ
両狛とも口を開いており、姿形も左右でほとんど差が見られません。
「昭和三十六年修復」という銘がオリジナル銘と同じ台座に彫られており、右側の前脚部分あたりに修復感があります。修復されたのは平川さんですが、この神社の願主の多くに平川姓がついています。狛犬小屋[1]の指摘にあるように石材がもろいせいか、表面の痛みが激しいです。奉納者は江戸京橋の日野屋久兵衛で、「大田区の石造遺物(謝辞[10])」によればこの時期下丸子に土地を所有していた人と言われています。

石燈籠

奉献/建立 弘化四丁未年九月[1847年]
石工銘 古市場 巳之吉
拝殿前左右に置かれています。台座に不思議な姿をした狛獅子?が彫られています。
左側の竿部に奉納年銘がかすかに残されていました(右側には銘無し、再建されたのでしょうか)。

戰没従軍紀念碑

奉献/建立 明治三拾九年五月[1906年5月]
石工銘 内藤慶雲
拝殿左横に置かれています。正面に「明治二拾七八年/三十七八年/戰没従軍紀念碑」とあり、日清戦争と日露戦争に従軍した兵士への慰霊碑となっています。

二之鳥居

奉献/建立 文化元甲子年十一月[1804年11月]
石工銘 不明
反対側の脚には「延享元甲子年十一月(1744年11月)」の銘があります。再建されているのかも知れません。一之鳥居は神明鳥居ですが、二之鳥居は明神鳥居となっています。

境内社石鳥居残材

奉献/建立 大正八年二月[1919年2月]
石工銘 末吉 清水弥太郎
2024年9月に再訪したところ、境内社の前に置かれていた明神鳥居が解体中でした。
これで境内社3社の鳥居は全て撤去ということになるのでしょうか。一之鳥居、二之鳥居よりも新しいのですが、何らかの理由があったのかも知れません。

一之鳥居

奉献/建立 明治三十四年十月[1901年10月]
石工銘 (内藤慶雲)
鳥居に石工の銘が見つかりませんでしたが、『社号標兼建設碑』と石材(花崗岩)から、碑と同じ内藤慶雲作と推定しています。

社号標兼建設碑

奉献/建立 (明治三十四年十月)[(1901年10月)]
石工銘 溝ノ口 内藤慶雲
表面には「村社 六所神社」とあり、社号標となっています。しかし背面には「花崗石鳥居建設碑」とあり、奉納年月が明記されていませんでしたが、一之鳥居(花崗岩)の建設を記念した碑と思われます。(よって建立年を鳥居と同時期にしています)

鳥居残欠

奉献/建立 不明
石工銘 末吉 片■せん
八杉神社の狛犬を作った『片野せん』かも知れませんが、「野」を「之」と書いた例が他にないため、保留としています。

参考にさせていただいたリンク