北嶺御嶽神社

所在地 東京都大田区北嶺町37−20
中原街道の田園調布警察前交差点から 環状八号で南へ下り、 JR/新幹線と交差する手前の東側に神社があります。
社殿の側面・背面を飾る彫刻が有名な神社です。 駅前にあることから参拝者も多く見かけますが、 いろいろと柵が多く鑑賞対象に近づけないのが残念です。

狛犬

奉献/建立 慶應三年八月[1867年8月]
石工銘 不明
狛犬タイプ 尾立て
柵に囲まれているため、台座全体の確認は難しいです。 慶應の作ですが「昭和/岡崎タイプ」に通じる造形を感じます。

狛犬

奉献/建立 (天保九年)[(1838年)]
石工銘 不明
狛犬タイプ 尾立て
境内社(大鳥神社)の前に置かれています。 台座の銘は「天」しか確認できませんが、 他のブログ[1][5]によれば 天保九年のようです(それを示す写真はありませんでしたが)。
となると、時期的には尾立てから尾流れへの移行時期で、 渦巻き髭や流れる鬣から、その萌芽を感じます。
また「御朱印神社メモ[1]」によれば、 神社は天保年間に一山行者によって再建されており、 その時に奉納された狛犬のようです。

石水盤

奉献/建立 文政十三庚寅年[1830年]
石工銘 不明
現役で使われているために、水やコケで詳細不明です。 「御朱印神社メモ[1]」によれば、 「文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には, 村の北にあり。小祠なり。」とあるため、 その当時から使われていた石水盤のようです。

石鳥居

奉献/建立 明治三拾五年壱月[1902年1月]
石工銘 (溝)之口 内藤慶雲
境内社(一山神社)の鳥居で、扁額には「壱山社」と書かれています。
※一山神社は、御嶽神社中興の祖と称えられる一山行者[6]を霊神として奉祀している神社です。