荒蘭ヶ崎熊野神社

所在地 東京都大田区山王3丁目43−11
環状七号で分断された荏原台地東側が南へ突き出した舌状台地の先端に神社があります。
「あらいがさき」と読み、「山王熊野神社」とも呼ばれています。
台地下の善慶寺山門から、本堂横の道を進むと鳥居があり、段丘崖を階段で上がったところに境内があります。
訪問日 2023年2月,2025年6月

狛犬

奉献/建立 明治三十五年五月[1902年5月]
石工銘 八幡石工 高橋磯右衛門
狛犬タイプ 尾流れ(左:子3,右:子3)
左右ともに三匹で計六匹の子狛の造形が見事です。表情、躍動感いずれも写実性にあふれており、あまりの素晴らしさに、写真の数がいつもより多いです。

石燈籠

奉献/建立 大正四年八月[1915年8月]
石工銘 八幡石工 高橋安五郎
狛犬の13年後の奉納。石工が同じ高橋姓なので、何らかの関係があると推測されます。
高橋安五郎は、同じ大田区の磐井神社の狛犬を手掛けています(こちらも同じく子沢山です)。
奉納年銘の左にある「䦰(鬮)順」は「くじ順」を意味するようです。

狐碑

奉献/建立 文久元歳辛酉[1861年]
石工銘 不明
拝殿の左脇に、文化十四年丑八月奉納の庚申塔と並んで狐碑が置かれています。「わがまち荒井宿[4]」によれば、農作物を荒らす害獣=狐を退治・慰霊した碑といわれています。一方「長い修学旅行の途中[5]」では当時大流行した疫病(コレラ)を封じたのではないかと推察されています。

脇鳥居

奉献/建立 寛政八丙(辰)正月[1796年1月]
石工銘 (南)品川 清三郎
拝殿の右手、境内北東側にある脇鳥居です。扁額には「熊埜宮」と書かれています。
石工の清三郎は、横浜市港北区で石燈籠を残しています。

石水盤

奉献/建立 文政九年丙[1826年]
石工銘 池上住 (榎本甚五郎)
階段参道の途中、衆善稲荷へ分岐する差路に手水舎が置かれています。
その中に庚申講中が奉納した石水盤が置かれ、正面に奉納者の姓名が記されています(最初から背面が見えなくなる場所に置かれることを想定していたのでしょうか)。
石工銘部分は剥落が進んでいますが、うっすらと残る字の痕跡から千束八幡神社の狛犬を作成した榎本甚五郎と推測しています。