八雲氷川神社

所在地 東京都目黒区八雲2丁目4−16
閑静な住宅地の中に長い参道を持つ神社。拝殿右手脇の渡り廊下の下をくぐりぬけると、さらに奥に参道が続いています。
深い木々に覆われた突き当りが奥宮で、まるで別世界に入ったようです。

狛犬

奉献/建立 大正五年九月[1916年9月]
石工銘 不明
狛犬タイプ 尾流れ(左:子2,右:子)
左側狛犬の手元に子狛が2匹いるのに写真をみてから気付きました(なんと窮屈な・・)。台座の横濱市浅間町 津村吉兵衛氏は、当時の横浜で財を成した商人のようです、都内で急逝したといわれる息子の供養でしょうか。

狛犬

奉献/建立 安政六己未歳八月[1859年8月]
石工銘 登戸 吉沢藤三光信
狛犬タイプ 尾流れ(左:珠,右:子)
拝殿前の狛犬より約50年古いですが、よく彫りが残っています。
吉澤耕石の二代目藤三光信の作で、鬣の巻きや鋭い眼光、子狛の造形が見事です。
両方阿に見えますが、微妙に耳の伏せ角度が異なって見えます。

二之鳥居

奉献/建立 文政三庚辰年九月[1820年9月]
石工銘 靏見(村) 飯嶋吉六
奥宮の石水盤と同時期で、この神社で最も古い石造物です。

三之鳥居

奉献/建立 大正十辛酉年九月[1921年9月]
石工銘 溝之口 内藤慶雲 /碑文谷 山崎豊次郎
地元石工である山崎豊次郎に慶雲が協力して作ったのでしょうか。

石灯篭

奉献/建立 安政六己未歳八月[1859年8月]
石工銘 (吉沢藤三光信)
奥宮の狛犬と建立が同時期で、銘の書体がほぼ同一であることから同じ石工(吉沢藤三光信)によるものと思われます。

石水盤

奉献/建立 安政六年己未年八月[1859年8月]
石工銘 芝伊皿子臺町 五兵衛
奥宮の狛犬,石灯篭と同時期ですが、石工は違うようです。伊皿子臺町は今の港区三田/高輪あたりだそうです。

石水盤(奥宮)

奉献/建立 文政三庚辰年二月[1820年2月]
石工銘 不明
奥宮参道に置かれた水盤。古いはずですが、それを感じさせません(石工銘が無いのは残念)。

参道橋石標

奉献/建立 大正十五年九月[1926年9月]
石工銘 碑文谷 山崎豊次郎
参道の途中にある石橋です。神社によく見られる、神域への入口を意味しているようです。

日露戦役記念碑

奉献/建立 明治四十年九月[1907年9月]
石工銘 山崎豊次郎
参道の途中にある石碑です。(乃木)希典の書で、日露戦役における戦病没者の慰霊顕彰です。

鳥居残材

奉献/建立 大正十辛酉年九月[1921年9月]
石工銘 山崎豊次郎
入口入ってすぐ右わきに鳥居の残材(脚)が立てられています。先代の一之鳥居と思われます。