碑文谷八幡宮

所在地 東京都目黒区碑文谷3丁目7−3
環状七号の大岡山小前交差点から東へ 500m程進んだ所に神社の入口があり、 そこから西へ長い参道が続いています。 社務所や児童公園も含めて都内とは思えないほど広い敷地です。

狛犬

奉献/建立 明治廿六年九月[1893年9月]
石工銘 青山 中村勝五郎/鈴木悦造
狛犬タイプ 尾流れ(左:子,右:子)
二之鳥居の左右に置かれています。 「ザ・江戸狛犬」を感じさせる正統派狛犬でありながら、 子狛の無邪気な描写も素晴らしく 石工の腕とセンスの良さに感動します。
石工の中村勝五郎は、宝永3年(1706)に創業した「石勝」の当主で、 都内に多くの狛犬・石造物を残しています。 また、「石勝」は現在の(株)石勝エクステリア[4]に引き継がれています。

石水盤

奉献/建立 昭和七年五月[1932年5月]
石工銘 東京青山 石勝
中村勝五郎が創業した石勝の銘があります。

石燈籠

奉献/建立 明治廿六巳年月[1893年9月]
石工銘 青山 中村勝五郎
境内 狛犬の内側に置かれています。 狛犬と同一石工・時期の建立です。

石水盤

奉献/建立 正徳五乙未歳九月[1715年9月]
石工銘 不明
稲荷社の前に置かれています。 かなり古い水盤です。 「石屋」とあるのが石工銘だと思われますが、 摩耗して判読できません。

狛狐

奉献/建立 大正拾貳年貳月[1923年2月]
石工銘 當村 山崎豊次郎
狛犬タイプ 狐(左:珠,右:子)
犬っぽく見えますが、稲荷社の前に置かれているので狐だと思います。 また、狛犬と同様子狐と珠という組み合わせになっているのも 興味深いところです。
山崎豊次郎は碑文谷を拠点としているため、 銘に「當村」が付いています。

楠樹記念

奉献/建立 昭和十五年十一月[1940年11月]
石工銘 水谷茂吉
境内南端の児童公園付近に置かれています。

三之鳥居

奉献/建立 大正十五年九月[1926年9月]
石工銘 山崎豊次郎
参道最後の鳥居です。

日露戦役紀念碑

奉献/建立 明治四拾一年九月[1908年9月]
石工銘 碑文谷 山崎豊次郎/大崎 木村松鶴
二之鳥居脇の石碑群の中にあります。 書は乃木将軍のようです。

征清戦勝紀念碑

奉献/建立 明治廿九年七月[1896年7月]
石工銘 溝ノ口 内藤慶雲
二之鳥居脇の石碑群の中にあります。 こちらは日清戦役の戦勝紀念碑です。

社号標

奉献/建立 昭和八年十二月[1933年12月]
石工銘 神奈川縣高津町二子 小俣石材■
二之鳥居脇の石碑群の中にあります。 皇太子殿下(現上皇)の生誕を記念した碑です。
昭和八年十二月は生誕された月なので、 建立はもう少し後だと思います。

一之鳥居

奉献/建立 大正四年九月[1915年9月]
石工銘 山崎豊次郎
かなり石工銘が摩耗していますが、 他の石造物から判断して 山崎豊次郎だと思われます。