大麻止乃豆乃天神社

所在地 東京都稲城市大丸847
府中街道が多摩川を渡る是政橋から南(稲城)側へ 1kmほど進んだ、多摩丘陵崖下に神社入口があり、急な階段参道を登った先に神社境内が置かれています。
多摩丘陵はこの付近で多摩川と近接していて、神社名の「おおまとのつの」も河岸の船着き場を意味するようです[1]

狛犬

奉献/建立 天保十二辛丑年六月[1841年6月]
石工銘 不明
狛犬タイプ 尾流れ(左:子2,右:子)
階段参道の途中境内の手前に踊り場のような平地があり、その奥に狛犬対が置かれています。
左右ともに子取りですが、左側の足元の子狛は破損が激しく、最初子狛とは気が付きませんでした。右側の子狛は乳吸いのようです。
右側の台座に昭和六辛未年二月に大丸村の窪覚太郎(願主の子孫)によって修理されたことが記されています。

石水盤

奉献/建立 文久二壬戌秋九月[1862年99月]
石工銘 長沼村 牛太郎
階段参道の途中、石燈籠と同じ場所に置かれています。正面に「無垢水」と彫られています。

石燈籠

奉献/建立 (明治二己巳年二月)[1869年2月]
石工銘 東京府浅草今(若)町 定(次)郎
階段参道の途中に左右対で置かれています。左側の台石に関東大震災後の大正十三年に復修建したことが記されています。
竿と火袋部はさらに後年再建されており、竿部にあったはずの建立年銘が失われてしまいました。

注連縄柱

奉献/建立 安政四丁巳年[1857年]
石工銘 (吉澤藤三郎)
入口入ってすぐのところに置かれています。一部再建されているようで、奉納年銘は確認できましたが、石工銘は確認できませんでした。しかし、年号「安政」の書体から、吉澤藤三郎光信の作と判断しています。

社号標

奉献/建立 大正六年十二月[1917年12月]
石工銘 溝口 内藤慶雲
入口左わきに背の高い社号標が置かれています。神社名の前に「延喜式内郷社」とあり、この神社の由緒・社格が記されています。

大久保盛墓碑

奉献/建立 大正十一年十月[1922年10月]
石工銘 吉沢耕石
神社参道左側に隣接している円照寺墓地内で見つけました。海軍二等機関兵として青島攻伐に従軍し、その後病没された方の墓碑です。

参考にさせていただいたリンク