稲城 青渭神社

所在地 東京都稲城市1054
稲城長沼駅から、南側を走る府中街道を越えて住宅街の中に入ったところに、細長い参道を持つ神社があります。多摩丘陵から流れ出た三沢川が作った扇状地の端になることから、かつては湿原・沼地帯だったと思われます。
拝殿裏に狛犬と思われる残材が並べられていました。これも含め、この神社の石造物は摩耗・欠損が著しいです(震災・戦災等の影響でしょうか)。

狛犬

奉献/建立 文政十三龍次(庚)寅歳夏六月[1830年6月]
石工銘 不明
狛犬タイプ 尾立て
拝殿に近い方の狛犬対です。眉が太く、特徴的な顔立ちをしておられます。残念ながら、こちらも右側の欠損・剥落が進んでいるようです。奉納年が一之鳥居と同時期なので、同じ石工の作かも知れません。
写真では写っていませんが、頭の上が窪んでいるのも特徴です。

狛犬

奉献/建立 明治十六年二月[1983年2月]
石工銘 篠崎七太郎
狛犬タイプ 尾流れ(左:子,右:珠)
拝殿前にある2対の狛犬のうち、外側の対です。左側の頭部が欠損するなど全体的に崩壊が進んでいます。明治十六年の作でこれほど脆いのは石質のせいかも知れません(砂岩?)

石水盤

奉献/建立 嘉永改元戊申年八月[1848年8月]
石工銘 登戸 吉沢藤三(郎)光信
正面に文字ではなく、見事な龍が彫り込まれています。水神に関係する神社だったのかも知れません。
石工銘の「藤三」の次の文字が解読できません(「郎」には見えない)。

石坂供養塔

奉献/建立 明治十七年秋九月[1984年9月]
石工銘 篠嵜丒太
拝殿右横の境内社横に置かれています。左下部は欠損したように見えますが、左上部は碑文の配列から最初から欠けていたような感じです。
建立時期が狛犬と近く、石工の苗字も同じと思われるため、同一石工の可能性も捨てきれません。

紀功碑

奉献/建立 明治廿九年丙申四月[1896年4月]
石工銘 内藤慶雲
参道途中の手水舎の裏に石碑が置かれています。碑上部には「紀功碑」と書かれているようです[2]。碑文もかなり摩耗していますが、背面側の碑文から戦没者に対する慰霊紀念碑のようです。

石燈籠

奉献/建立 昭和十二年九月[1937年9月]
石工銘 世田谷区池尻町 石岸
一之鳥居のすぐ後ろ左右に置かれており、部分的に再建されている様子です。台石に「克己三十年記念」と書かれていますが、建立者は渋谷区の方で、石工も世田谷区池尻町で作成されたようです。

一之鳥居

奉献/建立 文政十三龍宿庚寅歳四月[1830年4月]
石工銘 四谷石■丁 九(兵)衛
入口にある明神型の石鳥居です。台石の石工銘は摩滅が進んでいるため、「石造物と信仰(謝辞[29])」を参照しています。

参考にさせていただいたリンク