是政八幡神社

所在地 東京都府中市是政3丁目20−3
多摩川の是政橋の北側すぐのところに小さな崖線があり、その上にかつて是政村の集落があり、村の東端に位置する神社です(天明四年に移転しているそうです[2])。

狛犬

奉献/建立 明治十六年一月[1883年1月]
石工銘 東京駒込 酒井八右衛門/橋本鉄五(郎)
狛犬タイプ 尾流れ(左:子,右:子2)
江戸の名工・酒井八右衛門(井亀泉)の狛犬です。名工の名に恥じない堂々たる構図、エッジの効いた彫り、牙・手足爪の細部にわたる丁寧な仕事、表情豊かな子狛などなど感動です。
台座が高すぎて見上げるしかないのと、周囲の鉄柵が残念です。
酒井八右衛門は、石碑を多く手掛けており、川崎大師でも見ることができます。しかし都内や川口市でしか見られない狛犬が、ここ是政に奉納されている理由は「橋材義捐之碑」にあるようです。

橋材義捐之碑

奉献/建立 明治卅五年一月[1902年1月]
石工銘 不明
「川辺家の氏神様[2]」によれば、明治中頃、酒井八右衛門が多磨村是政の石橋42ケ所を工事した恩徳を顕彰した碑です。
八右衛門の狛犬がここに奉納されているのも、その縁があったからでしょうか。

石鳥居

奉献/建立 大正十五年十一月[1926年11月]
石工銘 石匠東京水道橋 野村保泉
独特の書体で奉納年銘が彫られた鳥居です。野村保泉は、狛犬の作者である酒井八右衛門(井亀泉)の流れを汲む(弟子?)昭和初期に活躍した石工です[4]
鳥居横にある神社標も同月の奉納なので、こちらも同じ石工の手によるものかも知れません。