神地/鶴見 松原 作品マップ

「松原」銘の作品が残されている神社・寺院等を、 地図上に表示しています。
創業以来、昭和初期まで神地(川崎市中原区)を拠点とし、 中原道と府中街道沿いの、それほど広くない範囲に作品が残されています。
活動期間は長いですが、途中空白時期もあり作品数はそれほど多くないようです。
昭和からは分家(鶴見)が鶴見周辺に作品を残しています。
※伝:伝右衛門、祐:祐太朗、延:延太郎、録:録、為:為三郎

年代代/銘記事
~1830(~天保元) 5 1851(天正9)年の創業と言われていますが、最初の銘「伝右衛門」は 1746(延享3)年の西明寺 宝篋印塔です。
1831~1870(天保2~明治3) 3 1837(天保8)年から 1872(明治5)年までの45年間、作品が1つ(常楽寺 敷石供養塔)しか確認できておらず、空白期となっています。
1871~1880(明治4~明治13) 伝,祐 7 1879(明治12)年以降、銘が「伝右衛門」から「祐太朗」に変わっています(ここから10年毎です)。
1881~1890(明治14~明治23) 4 この 10年間で、「祐太朗」銘 2件しか確認できていません。
1891~1900(明治24~明治33) 3 次の 10年間でも「祐太朗」銘 3件のみとなります。
1901~1910(明治34~明治43) 祐/延 4 長く続いた「祐太朗」銘も 1902年の本法寺の石水盤で最後となり、以降「延太郎」銘に変わります。
1911~1920(明治44~大正9) 延/録 5 「延太郎」銘が 1914(大正3)年まで続き、1916(大正5)年から「録」銘に変わります。
1921~1930(大正10~昭和5) 録/為 3 神地の「録」銘が続きますが、1923(大正10)年 鶴見神社の狛犬で最初の「鶴見 為三郎」の銘が出てきます。
1931~(昭和6~) 録/為 4 「録」銘は 1931(昭和6)年の泉澤寺 石碑で最後となる一方、「鶴見 為三郎」銘が鶴見周辺で増えています。 しかし、1939(昭和14)年以降の作は確認できていません。
不明() 1 蓮乗院の宝篋印塔が建立年不明です。「助七」の銘があるため、1800年頃の作と思われます。
地図の選択:
:神地 松原、 ⛩:神社、 卍:寺院、 ⛬:その他
※地図データは「国土地理院[1][2]」と「れきちず[3]」を利用させていただき、Mapbox GL JS[4]で表示しています
参考にさせていただいたリンク