保土ヶ谷 八五郎
姓は「鈴木」で、保土ヶ谷宿を拠点として約100年余活躍した石工です。 保土ヶ谷宿の下岩間町に居住しており、 1810年代(文化)までは、移転後の保土ヶ谷宿(岩間町含む)を指す「新町」が銘についています。
「保土ケ谷宿 石工・八五郎 八五郎の石造物[1]」によれば、 初代から三代目までは「八五郎」、 四代目は「弥吉/彌吉」、五代目は「豊吉」を銘として使用しています。
「保土ケ谷宿 石工・八五郎 八五郎の石造物[1]」によれば、 初代から三代目までは「八五郎」、 四代目は「弥吉/彌吉」、五代目は「豊吉」を銘として使用しています。
作品リスト(全て:23件)
奉献/建立年月 | 石工銘 | 石造物 | 神社/寺院 | ||
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1798年11月 | 寛政十戊午歳仲冬 | 新町 八五郎 | 出羽三山供養塔 | 上倉田出羽三山碑 | |
1808年11月 | 文化五戊辰年十一月 | 八五郎 | 石燈籠 | 帷子町 杉山社 | |
1810年3月 | 文化七庚午年三月 | 鈴木八五郎 | 湯殿山供養塔 | 外川神社 | |
1810年11月 | 文化七庚午歳十一月 | 八五良 | 二之鳥居 | 子神社 | |
1811年2月 | 文化八辛未冬二月 | 八五(郎) | 神田不動尊台座 | 橘樹神社 | |
1812年8月 | 文化九年申八月 | 新町 八五郎 | 齊上地神塔 | 旧杉山神社 | |
1821年5月 | 文政四辛巳歳五月 | 保土(ヶ谷宿) 鈴木八(五良) | 弘法大師塔 | 宝蔵院 | |
1824年99月 | 文政七甲申歳三月 | 岩間 八五良 | 出羽三山塔 | 子神社 | |
1825年11月 | 文政八乙酉歳十一月 | 保(土ヶ)谷 八五郎 | 寺号塔 | 慶運寺 | |
1825年12月 | 文政八年乙酉十二月 | 保土谷宿 八五良 | 宝篋印塔 | 宝生寺(寶生寺) | |
1834年3月 | 天保第五甲午歳次三月 | 保土ヶ谷 八五良 | 弘法大師塔 | 遍照院 | |
1837年9月 | 天保(八)年九月 | (八五郎) | 石水盤 | 仏向杉山社 | |
1837年9月 | 天保八年酉九月 | (保土ヶ谷宿) 八五(郎) | 狛犬 | 仏向杉山社 | |
(1845年)6月 | (弘化二年乙巳)六月 | 保土谷宿 八五郎 | 石階標 | 宝生寺(寶生寺) | |
1846年 | 弘化三丙午歳 | 下岩間町 鈴木八五郎 | 狛犬(左:子,右:子) | 帷子町 杉山社 | |
1852年6月 | 嘉永五年歳在壬子六月 | 下岩間町 八五郎/京橋 由五郎 | 狛犬 | 橘樹神社 | |
(1852年9月) | (嘉永五年九月) | 八五良 | 石燈籠 | 帷子町 杉山社 | |
1861年11月 | 文久元年辛酉冬十一月 | 鈴木八五郎 | 宝篋印塔 | 寶林寺 | |
1890年2月 | 明治二十三年二月 | 當驛下岩間 鈴木弥吉 | 石階標 | 樹源寺 | |
1890年10月 | 明治二十三年己丑十月 | 鈴木彌吉 | 山崎翁之壽碑 | 樹源寺 | |
1899年2月 | 明治丗二年二月 | 鈴木彌吉 | 石田音次郎君墓誌 | 安楽寺 | |
1911年9月 | 明治四十四年九月 | 鈴木豊吉 | 神社碑 | 帷子町 杉山社 | |
1921年2月 | 明治十三𫝕年三月 | 下岩間町 鈴木八五郎/帷子上町 川古谷平吉 | 宗祖報恩塔 | 妙栄山大蓮寺 |
参考にさせていただいたリンク
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保土ケ谷宿 石工・八五郎 八五郎の石造物
北村正幸氏による私家本・石工シリーズの1つです -
保土ケ谷区史
第二章 第三節 第一項 帷子川と今井川 -
関東地方整備局:東海道への誘い 保土ヶ谷が宿場になったのはいつ頃ですか?
保土ヶ谷宿の成り立ちと移転について