菅子之神社

所在地 神奈川県川崎市多摩区菅北浦5丁目4−1
府中街道の菅北浦交差点から南に入り、多摩丘陵を登っていく中腹に神社があります。鳥居から上がったところから右手に拝殿への階段があります。

狛犬

奉献/建立 明治卅九年十月[1906年10月]
石工銘 登戸 吉沢光信
狛犬タイプ 尾流れ
拝殿の左側境内隅に先代の狛犬が置かれています。左側は顔の彫が深く、迫力を感じさせますが、右側はほとんど欠損しており、痛々しささえ感じます。
吉澤耕石二代目光信の作で、八雲氷川神社の狛犬菅生神社の狛犬とよく似ています(菅生神社の狛犬もかなり破損しているのですが・・)。

石造物

奉献/建立 不明
石工銘 吉沢光(信)
拝殿左側の境内隅に砲弾と一緒に並べられています。「川崎市石造物調査報告書(謝辞[11])」でも「不詳」と分類されており、この石造物が何なのかよくわかりません(燈籠の傘を土台の上に置いただけ?)右側の正面に「小山氏」と彫られており、左側の背面には石工銘がありました。

紀念碑

奉献/建立 明治三十九年四月[1906年4月]
石工銘 吉沢光信
碑上部に「■■會紀念碑」と書かれていますが、最初の2文字が読めません。碑文から日露戦役に関する慰霊の碑と思われます。背面に会員名のリストがありますが、安藤姓が最初です。

石坂改築紀念碑

奉献/建立 明治四拾四年拾貮月[1911年12月]
石工銘 吉澤耕石
鳥居から階段を上がったところ、手水舎の右横に建っています。

災救社碑

奉献/建立 大正六年二月[1917年2月]
石工銘 吉澤耕石
神社入口から参道を降りてゆき、水路を越えたところ、電信柱の裏に碑が立っています。
「災救社」は頼母子講のように会員がお金を出し合って災害時に備えた仕組/組織だったようです(現代の保険に近い)が、その解散に当たり碑を残したそうです。