登戸浅間社

所在地 神奈川県川崎市多摩区登戸2919
多摩丘陵内を東へ流れ、現在は丘陵から出たところで二ケ領本川と合流している五反田川ですが、かつてはそのまま東の宿河原へと流れていました[3]
おそらくその川端に作られていた古墳が富士塚となり[2]、浅間神社が祀られたと思われます。
先代石宮には塚を作ったとされる清宮伝右衛門[1]が信仰していた丸山講[2]の紋が記されています。
入口横にある庚申塔は元禄四(1691)年のもので、神社の創建(文化三(1806)年)[1]より古いため、別の場所から移されたようです。
訪問日 2024年1月,2025年11月

石水盤

奉献/建立 明治七甲戌年正月[1874年1月]
石工銘 不明
富士塚上にある最も大きな石水盤です。背面には近傍六ヶ村の名が刻まれています。「講中」とあることから、富士講による奉納と思われますが、講紋の字が読めません(浄?淳?)

石水盤

奉献/建立 文化三年寅月[1806年6月]
石工銘 徳三良
富士塚上の小さい方の水盤で、富士塚/神社が作られたとされる文化三年[1]の銘があります。
「芙蓉庵の富士塚日記[2]」によれば、側面に銘がある「清宮伝左衛門」」は丸山教の教祖、伊藤(清宮)六郎兵衛の先祖で、丸山教の母体となった丸山講の先達をしていた人物だそうです。

石鳥居

奉献/建立 明治三十五年十一月[1902年11月]
石工銘 當所 吉沢光信
やや背の低い神明鳥居です。脚に彫られた奉納年銘の力強さが印象的です。