登戸稲荷社

所在地 神奈川県川崎市多摩区登戸2297
南武線と県道3号(津久井道)とが交差したところに 神社があります。 旧津久井道で善立寺の前から北へ曲がり、 そのまま丸山教・光明院の方へ続く道の途中に北へ延びる参道が あったようです。
『職人の街登戸』を代表する彫刻とこて絵で有名な神社ですが、 石造物(特に吉沢耕石の手による)も多く残されています。

狛狐

奉献/建立 明治三十二年二月[1899年2月]
石工銘 不明
狛犬タイプ 狐(左:珠,右:子)
入口の鳥居脇に置かれています。 世話人の数と地域の広さから、 この稲荷社が信仰を集めていたことが伺えます。
奉納年から見て、吉澤耕石の作である可能性が高いのですが、 石工銘は確認できませんでした(世話人にの中に吉澤姓は多く 確認できるのですが)。

百度石

奉献/建立 明治三十五年十一月[1902年11月]
石工銘 吉澤光信
拝殿前左にほぼ正方体の百度石が置かれています。

忠魂碑

奉献/建立 昭和二十九年八月[1954年8月]
石工銘 吉澤石材店
三基並んだ石碑の左端です。 日支事変、大東亜戦争における登戸地区戦没者の慰霊碑で、 登戸戦没者追悼會によって建立されています。 題字に徳富蘇峰の名が記されています。

明治卅七八年役紀念之碑

奉献/建立 明治三十九年八月[1906年8月]
石工銘 吉澤光信
彫りが薄くなって見づらいですが、 碑の表面側に日露戦争の戦没者/凱旋者の名前や状況経緯が記されています。 登戸䘏兵會によって建立されています。

戰役記念碑

奉献/建立 昭和三年十一月[1928年11月]
石工銘 吉沢耕石
登戸恤兵會・稲田村分會㐧三組によって建立されています。 時期的に第一次世界大戦の従軍者が慰霊対象のようです。

石標残材

奉献/建立 昭和廿九年[1954年]
石工銘 吉澤石材店
忠魂碑群の前、左右に石材残欠が置かれていますが、 おそらくは先代の階段石標と思われます。

石燈籠

奉献/建立 万延元庚申八月[1860年8月]
石工銘 吉澤藤三郎 /安吉
神社入口に置かれています。 石工銘が達筆ですが、 吉澤/藤三郎は読むことができます。 「川崎市石造物調査報告書(謝辞[11])」によると、 隣の2文字は「安吉」のようですが、 これが藤三郎の名前なのか、 別の石工(吉澤安吉)を示すのかは不明です。

記念碑

奉献/建立 昭和四十一年八月[1966年8月]
石工銘 吉沢石材店
拝殿裏、境内北西端に置かれています。 登戸で排水路を整備し、 湿田を乾田に変える土地改良事業の完成を記念して 建立されたようです。

注連縄柱残材

奉献/建立 天保十五年甲辰二月[1844年2月]
石工銘 (吉澤藤三郎)
神社入口に平成二十一年五月に再建された注連縄柱が置かれていますが、 柱に「天保十五年」の銘が彫られています。 境内西端に先代注連縄柱の残材が残されており、 そこに彫られている銘がそのまま引き継がれているようです。 彫りの流れるような字体(特に傾いた「月」)から 石燈籠と同じく吉澤藤三郎の作と推測しています。