光明院

所在地 神奈川県川崎市多摩区登戸1253
旧津久井道を善立寺の角から北へ270mほど進み、現津久井道を越えたところに寺院山門があります。
本堂は平成になってから極彩色の壁画や彫刻が追加されたとのことで、美しい装飾が施されています。また、太子堂壁面の漆喰も見事です(登戸が職人の街と言われるのもよくわかります)。
太子堂前に置かれている北向地蔵と馬頭観音像の移転は吉沢石材さんが施工されました[2][3]、馬頭観音像については、先祖が作った可能性もあるとのことです[4]。他にも、太子堂前反対側に置かれている地蔵尊像の施主が「吉澤兵右衛門徳成」で、本堂左手にある宝篋印塔の右側の願主が「吉沢氏/伊右衛門/友右衛門」、駐車場脇の南無遍照金剛塔に「吉澤太兵衛」の文字があり、昭和になって奉納された五葉松碑にも「吉澤清明」の名があるなど吉澤家と深い所縁のあるお寺のようです。

頌徳碑

奉献/建立 嘉永元年[1848年]
石工銘 吉澤安吉
境内入ってすぐ左手に置かれています。この光明院で医療に従事した漢方医で、鯨山と号した阿部益斎[6]の頌徳碑です。
川崎市立図書館のページでは 1854年没となっていますが、碑背面の文より嘉永元年の没&建立としています。
石工は、「門人 吉澤安吉鐫」と思われますが、吉澤耕石の関係者でしょうか? 背面には益斎の子、容斎の名も見えます。