下母口橘樹神社

所在地 神奈川県川崎市高津区子母口122
矢上川に沿った尻手黒川道の子母口住宅入口交差点の少し西から 北に入って坂を上がった高台にある神社です。
拝殿前には先代狛犬を模刻した新狛犬が置かれ、 先代は左側の石碑群の前に置かれています。

狛犬

奉献/建立 明治十三庚辰年九月[1880年9月]
石工銘 溝之口 内藤留五郎
狛犬タイプ 犬(左:子,右:子)
初代内藤(慶雲)の最初の狛犬の一つです[2]。 獅子タイプの狛犬ではなく、「山犬」タイプとなっています。 しかし、どんぐり眼の表現が他の獅子タイプ狛犬とよく似ています[3]。 また、この狛犬は川崎市の有形民俗文化財になっています[4]

鳥居残欠

奉献/建立 明治九年九月[1876年9月]
石工銘 溝ノ口 内藤留五郎
石碑の左側と右側にそれぞれ鳥居の台座跡があります。 位置が離れていますが、 形がほぼ同じなので、同一鳥居の台座と判断しています。 狛犬の4年前ですが、石工銘の「ノ」が異なっています。

石水盤

奉献/建立 大正五年十一月[1916年11月]
石工銘 中原町 松原録
参道左側に置かれた現役の手水舎で、 正面に「漱水」と三つ巴紋が彫られています。

石灯篭

奉献/建立 明治乙十八年酉九月[1885年9月]
石工銘 神地 松原祐太朗
参道の両側に置かれています。 建立年銘の「明治」に続く文字は「乙」と読めるので干支の一部と判断しています。 (「横浜市文化財調査報告書17」では「二」と読み、明治28年としていますが、 その年の干支は乙未で、酉ではありません)
内藤留五郎(慶雲)と松原祐太朗は 本法寺の手水鉢 で一緒に作業しています。

社号標

奉献/建立 昭和十五年九月[1940年9月]
石工銘 二子 小俣庄右衛門
神社入口すぐ右手に建っています。 皇紀二千六百年を記念して奉納されたようです。