稱名寺

所在地 神奈川県川崎市幸区下平間183
府中街道の西平間交差点から西へ入り、 さらに南へ下がったところにあります。
赤穂浪士所縁の寺として有名ですが、 境内には意外に多くの慶雲作品がありました。

山鹿素行歌碑

奉献/建立 (昭和九年八月)[(1934年8月)]
石工銘 内藤慶雲
本堂左脇に歌碑が2基並んでいますが、 左側が山鹿の歌碑となります。
「事事関心のサイト[2]」に 歌が書かれています。
「さいわい歴史副読本[3]」によれば、 碑台座に建立年銘があったはずですが、 台座が再建されたためか、確認できませんでした。

大石内蔵助歌碑

奉献/建立 (昭和九年八月)[(1934年8月)]
石工銘 内藤慶雲
2基並んでいる右側の歌碑です。 こちらは大石内蔵助の俳句が刻まれています。
建立年不明のため、 山鹿素行の歌碑と同時期と想定しています。

青木育造墓碑

奉献/建立 昭和十五年十月[1940年10月]
石工銘 内藤慶雲
本堂左手にある墓地苑の中に立っています。 昭和十三年に日中戦争の前線で戦死されたようです。

成川勝五郎墓碑

奉献/建立 明治卅八年十月[1905年10月]
石工銘 内藤慶雲
日露戦役の旅順線で戦死された方のようです。

寄附票

奉献/建立 大正三年七月[1914年7月]
石工銘 末吉 清水(弥)太郎
石工銘は「川崎市石造物調査報告書(謝辞[11])」を参考にしています。