女躰大神

所在地 神奈川県川崎市幸区幸町1丁目
かつて多摩川が大きく西側に張り出して蛇行した時代に川を囲むように形成された自然堤防帯の北側に神社があります(南側には東海道が引かれ川崎宿が作られました)[5]
境内が幼稚園になっているため、南側入り口は閉鎖されており、東側から入ります(とはいえ平日は園児が遊び場にしているので、注意が必要です)。
訪問日 2023年1月,2023年5月,2023年6月,2025年11月

狛犬

奉献/建立 大正九年十月[1920年10月]
石工銘 不明
狛犬タイプ 尾流れ(左:子&珠,右:子)
狛犬見聞録[1]にあるように親狛と子狛で変化を持たせた表現は見事です。台座に奉納者の名前が多数彫られているのですが、石工銘は確認できませんでした。石水盤の石工銘から同じ杉山姓の「杉山角太郎」かとも思ったのですが、渡田新田神社の狛犬とはかなり作風が異なっているようです。
左側の珠を抱えてじゃれる子狛の様子は、境内の幼稚園にふさわしい可愛さです。

鳥居残材

奉献/建立 寛政五癸丑歳四月[1793年4月]
石工銘 (鶴見村 飯嶋吉六)
南側からの参道右側に鳥居の残材が2本立てられています。残念ながら台座はほぼ地面に埋まっており、左側台座正面にあるという石工銘は確認できませんでした。(とはいえ、先代の鳥居を見える場所に保存されていることには感謝です)

石水盤

奉献/建立 昭和十一年八月[1936年8月]
石工銘 杉山角次郎
南側からの参道左側にある、現役の石水盤です。
杉山角次郎は幸区中幸町2丁目を拠点とした石工[4]で、同じ神社内の明治百年記念碑も手掛けています。

再建明治百年記念碑

奉献/建立 昭和四十三年八月[1968年8月]
石工銘 杉山角次郎
東側から入って右手に石水盤の横に立っています。新しすぎるので本来なら対象外ですが、石水盤と同じ石工銘なので記載しました。