無量院

所在地 神奈川県川崎市幸区小倉2丁目7−1
住宅・マンション・工場が混在する地域ですが、寺院は広く境内も清潔な雰囲気です。 川崎市最古の三猿庚申塔(石燈籠)[2]があります。

石門

奉献/建立 嘉永六丑正月[1853年1月]
石工銘 飯島吾良(右衛門)
門を入って左手に手水鉢や庚申塔と一緒に置かれています。 「鶴見村石工・飯島吉六(謝辞[1])」によれば、 銘は『飯島吾良右衛門』だそうです。 手水鉢の背後に置かれている石造物(門?)も『石門』の一部でしょうか? 奉納時期は門前の碑とほぼ同じでした。

龍燈観音敷石供養塔

奉献/建立 嘉永六癸丑三月[1853年3月]
石工銘 矢向村 松五郎
門前右側におかれています。 かつて近所にあった小倉池にまつわる 伝説[1][2]のようです。

中村泰助碑

奉献/建立 明治三十八年[1905年]
石工銘 飯島吉六 / 矢上 片野藤吉
墓地の中、中村家墓の中に立っています。 中村泰助氏は二十七歳で戦死されたようです。 年銘が無いため、その年を建立年としています。
石工は吉六と片野藤吉の連名ですが、 片野藤吉の方に「彫」が付いており 文字彫を担当した可能性があります。