妙海寺

所在地 神奈川県川崎市中原区木月4丁目42−6
かつて尻手黒川道の矢上川(石神橋交差点)から綱島街道交差点間は、現在の道より1本南側を通っており、妙海寺もその道の南側に面していたようです。

題目塔

奉献/建立 明治十四辛巳四月[1881年4月]
石工銘 (鶴見 飯島吉六)
本堂手前左手の墓地へ続く道の左側木陰に建っています。
「川崎市石造物調査報告書(謝辞[11])」によれば、台石の右側面に飯島吉六と書かれた銘があったようですが、現在は剥落・破損が進んでいて、確認できませんでした。

小嶋藤吉之墓

奉献/建立 明治三十七年八月[1904年8月]
石工銘 矢上 片野藤吉
寺院墓地入ってすぐのところにあります。背面にスペースが無く、全体を撮影することは出来ませんでしたが、年代的に日露戦役に従軍した方の墓石のようです。

大箭徳次郎之墓

奉献/建立 明治三十八年八月[1905年8月]
石工銘 末吉 清水弥太郎
墓地内本堂すぐ横に位置し、大きな墓石が目立つように置かれています。日露戦役に従軍し旅順作戦で戦死された方の墓石のようです。

近藤仁兵衛之墓

奉献/建立 明治三十八年十一月[1905年11月]
石工銘 内藤慶雲
墓地最奥に置かれています。地名は読みとれませんでしたが、他と同様に日露戦役に従軍し戦死された方の墓石です。

石橋

奉献/建立 明治十三年(五月)[1880年5月]
石工銘 寉見 飯島吉六
かつては橋の下に用水が流れていたそうです[2]。現在は門前の石板と欄干が残されています。左側の寺院側柱に発起人銘があり、右側の寺側柱に石工銘と読みづらいですが建立年銘があります。

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