王禅寺

所在地 神奈川県川崎市麻生区王禅寺940
自然公園に隣接し、関東の高野山と呼ばれる[1]ほど深い自然に囲まれた寺院です。
尻手黒川道のヨネッティー交差点から野川柿生線で南へ下がり、ふるさと公園の手前興産から西門へ出ることができます。境内から南の東門へ長い参道が続いています。
長い寺歴のおかげで、吉澤耕石の「藤三郎」を除く四代(「伊勢屋藤吉」「吉沢光信」「吉澤藤吉」「吉澤耕石」)の作品を楽しめるという稀有な場所となっています。

合寺記念碑

奉献/建立 大正十四年乙丑三月[1925年3月]
石工銘 吉澤耕石
本堂前右手に立てられています。周囲を柵で囲まれ、裏側は見ることができませんでした。
「川崎市石造物調査報告書(謝辞[11])」によれば、碑文には北条・徳川氏に庇護され、明治の廃仏毀釈の難を乗り越え、大正十四年に再建されたという歴史が刻まれているようです。

宝篋印塔

奉献/建立 宝暦十二龍集壬午歳仲秋[1762年8月]
石工銘 江戸伊皿子 松田利兵衛
旧本堂前右手の少し小高い所に置かれています。訪問時は周りが草に覆われており、近づいての撮影は困難でした。
願主は江戸芝新䋄町(現港区浜松町二丁目)に居を構えていた、旗本の神尾氏と思われます[5]。また、作も江戸石工です。

名号塔

奉献/建立 文化十五寅年三月[1818年3月]
石工銘 登戸 伊勢屋藤吉
旧本堂前左手に建てられています。正面に「南無阿弥陀佛(六字名号)」と、その下に「徳本」と印が刻まれています。
吉澤耕石初代の作です。

石水盤

奉献/建立 明治廿一年子四月[1888年4月]
石工銘 吉澤藤吉
旧本堂前右手に置かれており、正面に輪宝紋が彫られています。
ネットでは「ゴジラ顔の水口」とか言われていますが、これも吉澤三代目藤吉の作でしょうか?(石材が異なるので、後から付け足したようにも思えますが)

仁王像

奉献/建立 弘化三丙午年十一月[1846年11月]
石工銘 登戸 吉沢光信
吉澤耕石二代目の作で、旧本堂入口の左右に置かれています。石造りの仁王像は珍しいですが、さらに吉沢耕石の人型像(仏像,神像)としても他にはない作品でもあります。
それぞれ阿吽の表情をされていますが、どこか笑っているようにも見えます。

日露戦役紀念碑

奉献/建立 明治四十一年三月[1908年3月]
石工銘 吉澤耕石
旧本堂の右横に建てられています。背面には戦没者と従軍者の氏名の他、「紀念碑及馬場新築寄附者芳名」も刻まれています。