万福寺十二神社

所在地 神奈川県川崎市麻生区万福寺3丁目2−3
多摩丘陵内を登戸から鶴川へ横断する津久井街道は、東側は五反田川、西側は麻生川に沿っており、ちょうど百合ヶ丘と新百合ヶ丘の間が分水嶺となっています。その新百合ヶ丘駅北側の丘陵上に神社が置かれています。
地名に「万福寺」が付いていますが、江戸時代には既に寺は所在不明となっていたようです[1]
ここは平成狛犬の方が裏側に置かれていますが、この平成狛犬を手がけたのが、先代狛犬の石工のご子孫である吉澤石材店となっているのも興味深いです。

狛犬

奉献/建立 大正五年四月[1916年4月]
石工銘 登戸 吉澤耕石
狛犬タイプ 尾流れ(左:珠,右:子)
子狛の表現が 白幡八幡大神の狛犬とよく似ています。また、吉澤耕石の特徴ともいえる「シナモンロール」も随所に見られ、勢いを感じさせる狛犬です。台座に彫られている歌については、悠遊・楽感雑記帳[2]を参照ください。(「川崎市石造物調査報告書(謝辞[11])」と少し解釈が異なるようですが)

石燈籠

奉献/建立 大正五年九月[1916年9月]
石工銘 登戸 吉沢耕石
正面には左右それぞれに「揚輝」、「照闇」と彫られており、台座は左右で「獻」「燈」と彫られています。

石水盤

奉献/建立 大正八年四月[1919年4月]
石工銘 吉沢耕石
階段参道を上がった境内左手に置かれています。正面に「自絜」とあり、側面には狛犬と同様に歌が二首彫られています。(「絜」は長さを測るという意なのですが・・)
「川崎市石造物調査報告書(謝辞[11])」によれば、この石水盤は元は 200mほど北にある万福寺会館にあったようです。

御大典紀念日

奉献/建立 大正四年十一月[1915年11月]
石工銘 吉澤耕石
階段参道の途中左側に石碑が並んで立っています。右側の碑の裏には日露戦役従軍者の目名前が彫られています。
左側も同じ吉澤耕石の大正八年一月建立です。

幟立て

奉献/建立 大正八年十月[1919年10月]
石工銘 吉澤耕石
拝殿裏の境内隅に現役を引退した幟立てが置かれています。