細山神明社

所在地 神奈川県川崎市麻生区細山2丁目6−1
五反田川に沿って多摩丘陵内を貫く津久井道の 高石歩道橋下交差点から、 さらに川に沿って稲城へ続く県道を北西へ進むと、 神社入口に出ます。
丘陵斜面の階段参道を登ると神社の西側に出て、 そこから東方向に鳥居があって 拝殿を見下ろすという珍しい配置になっています。 (逆さ大門と呼ぶようです[1]
神社入口横に4基の石碑が建っていますが、 その中の3基が道路改修に関する碑で、 丘陵の中に道を切り開くことが大変だったことが伺えます。

狛犬

奉献/建立 昭和三年十一月[1928年11月]
石工銘 登戸 吉沢耕石
狛犬タイプ 尾流れ(左:珠,右:子)
鳥居の手前脇に高い台座の上に載った狛犬が置かれています。 頭が大きく、目鼻立ちが漫画のようだと言われていますが、 吉澤耕石の特徴であるシナモンロールの巻きは健在です。

狛犬

奉献/建立 (文政四年辛巳十一月)[(1821年11月)]
石工銘 (登戸 伊勢屋籐吉)
狛犬タイプ 尾流れ
階段参道を上がりきったところ左右に置かれています。 台座は左右ともほとんど土に覆われているため、 建立年銘(右側)、石工銘(左側)については 「編集長の狛犬小屋[2]」や 「川崎市石造物調査報告書(謝辞[11])」の記述を元にしています。
「阿吽探訪[3]」の写真を見ると、 以前は右側(阿像)の台座は外に出ていたようです。
伊勢屋藤吉は吉澤耕石の初代ですが、 吉澤狛犬の特徴でもある渦巻カールはあまり感じられません。

石水盤

奉献/建立 大正四年十一月[1915年11月]
石工銘 吉澤耕石
境内拝殿の左手にあります。

注連縄柱

奉献/建立 明治廿六年二年月[1893年2月]
石工銘 溝口 内藤慶雲
鳥居前狛犬の手前左右に置かれています。 他の石造物を全て吉沢耕石が手掛けているにも関わらず、 この注連縄柱だけなぜか慶雲の作となっています。 柱に「本村稲荷社」という文字があるので、 合祀された神社から移設したのかもしれません。

即位記念神社事業碑

奉献/建立 昭和四年十二月[1929年12月]
石工銘 吉澤耕石
境内南西端に建っています。 昭和天皇の即位記念だったようです。 碑文に「拝殿に大修理を加へ」や「石の大鳥居を建て」、 「石坂をも改め築く」という文面があります。

寄附碑

奉献/建立 明治四十三年四月[1910年4月]
石工銘 吉澤耕石
同じく境内南西端に立っています。 「為明治三十七八年戦役紀念寄附」とあり、 日露戦役に関わる寄附だったようです。

開墾記念碑

奉献/建立 昭和十一年四月[1936年4月]
石工銘 吉沢石材店
神社入口前に並んだ4基の石碑群の中で最も大きい左端の石碑です。 書を記した井上英男という人は「昭和恐慌下の生田村細山部落(麻生区)を 県農事特別奨励地に指定して、 モデル農村づくりを指導し、全国に知られた」[5]人だそうです。

川崎市合併紀念道路碑

奉献/建立 昭和十七年二月[1942年2月]
石工銘 不明
神社入口前に並んだ4基の石碑群の中で左から二番目の石碑です。 生田村が川崎市に編入(合併)したのは昭和十三年です。
他の三基と同様吉澤耕石の作と思われますが、 銘は確認できませんでした。
碑文に「大久保新道」とありますが、 現在大久保という住所(字)は無く、 神社から北の稲城へ続く道の途中のバス停に名前が残っています。

改路紀念碑

奉献/建立 大正七稔八月[1918年8月]
石工銘 吉沢耕石
神社入口前に並んだ4基の石碑群の中で左から三番目の石碑です。

御大典記念改路之碑

奉献/建立 昭和四年三月[1929年3月]
石工銘 吉沢耕石
神社入口前に並んだ4基の石碑群の中の右端の石碑です。 書の「建長曇華」は建長寺の住職を務めた菅原曇華(どんげ)[6]と思われます。